92歳「"球界の嫌われ者"の言葉」が圧倒的に響く訳 「何者にも屈しない」姿は、なぜ生まれたのか?

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江夏の登板と痛風発言はまったく関係ない。ただいろんな人から痛風については言われたよ。美食で痛風になるのはウソ。人によって原因は違う。医者からは特効薬を3時間おきに飲みなさいと言われた。中西太から専門の医者を紹介され、『これを3時間おきに飲んでいます』と言ったら『広岡さん、私に会ってよかったよ。死ぬとこだったから』と言われた。3時間おきに服用していた薬が、非常に強い薬だったわけ」

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かつて痛風は贅沢病と呼ばれ、美味しいものをたらふく食べている贅沢者が発症する病気と言われていた

医学の進歩により、食べすぎ、酒量といった生活習慣の乱れから、激しい運動やストレスも原因とされ、人によって原因となる要素はさまざまである。

とにかく、監督時代に痛風になったことは、マスコミならず選手からも格好の攻撃材料となった。

毎朝起きたら真水を浴び、規則正しい生活を徹底して自分を律してきた広岡が、生活習慣の乱れから痛風を発症したとは考えにくい。

おそらく極度のストレスからの発症に違いない。ただ、当時の間違った認識により周りからは好奇な目で見られるようになり、食事管理するうえでの説得力が欠けてしまったのは否めない。

「広岡達朗の生き様」は誰の人生にも当てはまる

マスコミから「管理野球」と揶揄された広岡達朗の野球スタイルは、決して型にハメたものではなかった。自主性を重んじながら目の前のことを一生懸命やらせた結果が優勝につながっただけに過ぎない。

「やるべきことをやる」。誰の人生にも当てはまることでもあり、広岡達朗の生き様はまさに万人に通じる

*この記事の前半:92歳「嫌われた"球界の最長老"」広岡達朗の真実

松永 多佳倫 ノンフィクション作家

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まつなが たかりん / Takarin Matsunaga

1968年11月29日、岐阜県大垣市生まれ。琉球大学卒業。琉球大学大学院人文社会科学研究科中退。出版社を経て2009年8月よりフリーランスとなり沖縄移住。ノンフィクション作家として沖縄の社会学を研究中。主な著書として、『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『偏差値70からの甲子園-僕たちは野球も学業も頂点を目指す-』(集英社文庫)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α新書)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(KADOKAWA)、『永遠の一球-甲子園優勝投手のその後-』(河出書房新社)など。

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