このように考えると、こうしたスターツ出版の仕組みは、案外、江戸時代などの出版流通の仕組みに、ある側面では近いといえるのかもしれない。読者と作者、そして売り手が渾然一体となり、それによって、読者の共感を得られやすい作品が生まれてくる――。
もちろん、これはあくまで比喩的な類似を指摘したまでだが、「本が売れない」と嘆く前に、もう一度、出版社や編集者、そして書き手が「読者」のほうを向いているのか、読者と等身大で作品を作ることができているのかを考える必要がある。
「リアル書店」という「偶然の出会いの場」
ブルーライト文芸の勃興について、筆者が思うことの2つ目が、「いま、物理書店にはどのような可能性があるのか」ということだ。
菊地修一氏は、ブルーライト文芸のような表紙がキラキラした本が書店に置かれていることで、その前で人々が立ち止まったり、それをきっかけに人々が書店に足を運ぶとインタビューで述べていた。
今回の記事を書くために、筆者は都内にあるいくつかの書店を実際に巡ってみたが、たしかにこうした青い表紙の本は書店の中でも異彩を放っているし、これが本屋への誘引力の一つになっていることは間違いない。
ここで私は、青くキラキラした表紙に惹かれて書店空間に入っていくという、一種の「偶然性」が生まれていることに興味をそそられる。
下北沢B&Bの設立に携わった嶋浩一郎は、『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』の中で、物理書店の面白さについて「自分の興味の範囲になかったものに出会える」ことを挙げている。
ネット空間では、目的の商品まで最短距離で到達することが可能だ。検索欄に言葉を入れて、調べればすぐに目当ての商品を買うことができる。
しかし、そのように「目的のあるもの」ではなく、むしろ、これまでの自分の好みになかったものや、自分の思考の外側にあるものに出会わせてくれるのが物理書店だと、嶋は言うのだ。
ブルーライト文芸が、その美しい表紙によって人を書店空間へと誘っていることは、まさにこうした物理書店が持っている「偶然性」というパワーを最大限活用しているように思える。そして、そこに吸い込まれた人々は、今度はブルーライト文芸以外の書籍に出会うかもしれない。
そのような意味で、こうした表紙は物理書店という空間の面白さを最大限にまで高めている。
出版関係者と話していると、「本は中身が大事」という人が多い。近年ではそこまで露骨ではなくなってきたが、それでもやはり、どこかデザインよりも中身のほうが重視されがちな現状はあるだろう。
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