こうした文芸作品を精力的に出版するスターツ出版は、意識してこうした表紙の作品を作っているわけではない。
「読者と作家と出版社」の三位一体で本を作ることを意識していった結果、そのようになっていったという。いうなれば、読者に寄り添った結果として、ブルーライト文芸は、偶然生まれたのである。
こうしたブルーライト文芸の勃興からは、どのようなことが読み取れるだろうか。
今回は、この点について考えてみたい。ポイントは2つある。
1つ目は、「出版社が読者に寄り添うことの重要性」、そして2つ目は「いま、物理書店にはどのような可能性があるのか」ということだ。
「作り手」と「書き手」が近かった、かつての書店
まず、1つ目の「出版社が読者に寄り添うことの重要性」についてだ。あまりにも当然のことのように思えるかもしれない。しかし、実はこうした読者に密着した書籍作りの難しさは、そもそも日本の出版システムが構造的に抱えてきた問題でもある。
ここで、日本における書店の歴史を振り返ってみよう。
日本における書店の始まりは、江戸時代の京都に遡ることができる。仏教が盛んであった京都で、仏教についての書籍である「仏典」をはじめとする書籍の商いが隆盛したのである。
興味深いのは、こうした初期の書店は、書籍の出版・印刷・取次(出版社と書店の間をつなぐ流通業者のこと)・販売、そして古書店や貸本屋(つまり、レンタル)の機能も兼ねていたことだ。
つまり、現在では分かれている書籍にまつわる役割が未分化で、それによって「専門の作家」「専門の書店」というのもほぼ存在しなかった。現在我々が江戸時代の作家として認識できるような人々も、実は兼業であったり、同時に貸本屋を営んでいたりしたのだ。そのようなわけで、必然的に出版社と読者、作り手の距離が近かったのがこの時代であった。
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