なぜ、読者と出版社は遠くなってしまったのか?
しかし、明治以降、こうした状況に変化が起こる。明治時代になると、いわゆる出版社と書店を取り持つ「取次」が誕生する。これによって、現在私たちが認識している「作者」「出版社」「取次」「書店」「読者」という区分けが生まれてくる。
最初の取次は、1878年に誕生した良朋堂で、その数年後には現在のような取次のシステムが整えられるようになる。
とはいえ、まだ明治初期の段階では、江戸時代の出版スタイルを残しているような場合も多く、現代に見られるようにしっかりと「出版社」「取次」「書店」「読者」が分かれているわけでもなかった(小田光雄『書店の近代』)。
また、おりしも訪れていた大衆社会の訪れとも連動して、「本=商品」であるという認識も強まっていく。その顕著な例が、昭和初期に大流行した「円本」だ。
改造社が初めて発売したこの本は、いわゆる文学の名作を「一円」という安さで大量に売り、それは当時勃興してきた、サラリーマンなどを代表とする中産階級に大きく受容されたのであった。
戦争を挟んで日本が高度成長に向かう中で、こうした「消費財としての本」はますます大量生産、大量消費されるようになり、そしてそれを後押ししたのが「取次」の存在だった。
日本では、この「取次」が他国に比べてきわめて高度に発達してきた歴史があり、それによって、全国にさまざまな本が効率よく配本される仕組みが整った。そのため消費財としての本の流通が異例なまでに整ったわけである。
このように、明治以降、日本における書物の流通システムと書店の変容によって、もともとは読者に近い存在であった出版社や作家が、そこから遠い存在になっていった。
結果として、作家と読み手が大きく離れてしまったことにより、出版業界にとって、読者の共感を得られやすい作品を生み出す土壌が育ちにくくなってしまったのではないだろうか。
スターツ出版・代表取締役の菊地修一氏は、その書籍作りの秘訣として、読者と作者、そして出版社が三位一体で読者の等身大に寄り添った作品作りをしていることに求めていた。
実際、スターツ出版では、自社の投稿サイトを用いて作家を発掘しており、むしろ作家自体が、その投稿サイトの読み手であったともいえる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら