「裸になって向き合った」ハンセン病回復者の人生 新作ドキュメンタリー「かづゑ的」熊谷監督に聞く
――映画では、かづゑさんが療養所内のスーパーに電動カートで買い物に行ったり、夫の孝行さんと部屋で過ごしたりという日常生活を描いています。お風呂に入る場面では体をさらけ出していますが、ハンセン病回復者の方でここまで見せるのはまれなことではないでしょうか。
ハンセン病回復者が入浴する場面を撮った作品は、これまでなかったのではないか。撮影の初日、かづゑさんから私たちスタッフに「明日入浴だから撮ってね」と申し出があった。「えー!」と仰天したが、生身の人間として捉えてくれるだろうと考えてくれたのかもしれない。
介護スタッフたちも協力的で、浴場にカメラが入っても、いつもと変わらない自然体で受け入れてくれた。
映画が完成した後、かづゑさんに見てもらった時に「どこが一番良かった?」と聞いたら、「お風呂のシーンが良かった」と。ありのままを見せられたという思いと、見なきゃわかんないでしょうという極めてシンプルな理由からだろう。
彼女は「いい格好していては本物は出ない、裏と表がないと本物ではない」と、よく語っていた。だから撮影期間中は「熊谷さん、ちゃんと裏も撮れた?嫌なところも撮れている?」としょっちゅう尋ねてきた。
「かづゑ的」としか言い表せなかった
――長い年月をかけて撮影した熊谷監督から見て、かづゑさんはどんな人でしょうか。
あの前向きさ加減は唯一無二。映画のタイトルは宮﨑かづゑさんという人物を一言で言い表しうる言葉を探してみたのだが、「かづゑ的」としか言いようがなかった。
かづゑさんから「できない」という言葉は、本質的なところでは聞いたことがない。眼鏡をかけてほしいとか車椅子に乗せてとか、ちょっとしたことを周りに頼んだりはするけれど、自分でできるよう諦めずに工夫する。一緒にいると、足が不自由なことや手の指がないことを忘れてしまうほどだった。
――映画の中では、愛する人たちとの別れや過去の回想でかづゑさんが泣くシーンが出てきます。慟哭と言えるほどの場面もありました。それほどまでに近い距離で接し続け、見えたことはありますか。
彼女は前向きに生きてきた一方、悩むところは深く悩んできた。ハンセン病患者は社会のあらゆる場面で差別されてきたが、かづゑさんは10代の後半で療養所内でのいじめ、「差別の中の差別」に遭っている。50代に入ってからは長い間うつ状態にも陥った。
そこからどうやって脱したか。支えになったのは、肉親や夫からもらった「愛情の貯金」と、膨大な読書量から得た、その時その時を生き抜く「知識」だ。
かづゑさんの人生の背後にはハンセン病がある。だが、ハンセン病だけではない。映画では、かづゑさんの生き方を通して、人間が生きていくために大切なことは何かという普遍的なテーマに迫ったつもりだ。
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