キューバ「オーガニック大国」になった意外な経緯 大国に振り回される中、たどりついた農業
そこで対抗して行ったのが、キューバからの砂糖輸入禁止措置。「作っても買わないぞ」という姿勢を見せることで、方針撤回を期待した。キューバは困った。砂糖は同国の主要輸出品であり、経済の要だ。その多くをアメリカに売っていたので、大量の砂糖が行き場所を失い、外貨を得られなくなった。
そこでアメリカに代わる売り先として急接近したのが、もう1 つの大国ソ連だった。時は冷戦真っ只中。キューバの動きを見て、社会主義国家化することを懸念したアメリカは、キューバに対して禁輸措置などの経済制裁を課した。この制裁は、形や程度を変えながら今も行われており、キューバは物が安定的に入ってきにくい状況が続いている。
「なしでできるならそれに越したことはない」
物というのは食料だけでない。化学肥料も農薬も、トラクターを動かす燃料もだ。燃料が入ってこなかったら、トラクターはただの鉄の塊だ。そういうわけで牛耕へと回帰し、化学肥料を使わない農業を志向するようになった。キューバの有機農業は、物がない中で食料を生産するために発展した苦肉の策だったのだ。
オーガニック農業というと、相当意志のある選択のように思っていたけれど、ティティの理屈はあっさりしている。「何年も試行錯誤しているうちに、化学肥料や農薬はなくてもいいと気づいたんだ。なしでできるならそれに越したことはない」。
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