紫式部がつづる女流作家「清少納言」への"対抗心" ほぼ同時代に生き、同じような地位・立場だった

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この日記が書かれたのは寛弘(かんこう)7(1010)年で、定子皇后が亡くなったのは長保(ちょうほう)2(1000)年ですから、清少納言が宮廷を去ってから、だいぶ時間が経っています。

清少納言の晩年はどうだったか

鎌倉初期の説話集『古事談(こじだん)』によれば、清少納言は晩年にはだいぶ零落(れいらく)したようで、同書には、その様子が伝えられています。

それにしても、紫式部の清少納言批判は激越です。

清少納言の「学識の無さ」を云々していることに関して、丸山裕美子氏はその著『清少納言と紫式部』(山川出版社)のなかで、こう書いています。

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「紫式部は、父仕込みの漢籍の素養をもっていながら、(『一といふ文字だに書きわたしはべらず』)という態度をとっていたほどだから(『紫式部日記』)、清少納言の漢籍知識の浅薄さが我慢できなかったのであろう」

もしかしたら、紫式部は新たな「彰子(しょうし)サロン」での自分と、清少納言とを(無意識のうちに)比べていたのかもしれません。

当初は同じ女房仲間から、陰気で地味と疎(うと)んじられていた紫式部。それが、みずから努力に努力を重ねて、見直されていく。最後はけっこう社交的にもなって、彰子中宮からの信望も篤(あつ)くなり、いちばんに目をかけられるようになるのです。

それだけに、よけいに「定子サロン」の人気者、清少納言には大きな対抗心があったのかもしれません。

岳 真也 作家

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がく しんや / Gaku Shinya

1947年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。2012年歴史時代作家クラブ賞実績功労賞、2021年『翔 wing spread』(牧野出版)で第1回加賀乙彦推奨特別文学賞を受賞。代表作に『水の旅立ち』(文藝春秋)、『福沢諭吉』(作品社)、ベストセラーとなった『吉良の言い分』(小学館)。最近作に『行基』(角川書店)、『織田有楽斎』(大法林閣)、『家康と信康』(河出書房新社)など。現在、著作は170冊を超える。日本文藝家協会理事

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