蜜月終焉、フィリピン正・副大統領間で大抗争勃発 マルコスとドゥテルテ、大統領選から一転、対立激化

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ボンボン氏は就任以来、改憲には慎重な態度を示してきたが、1月23日のテレビ番組で「現憲法はグローバル化を想定しておらず、外資を呼び込むためには調整の必要がある」と一転して前向きな姿勢を示した。

これに対して前大統領らが「改憲によりボンボン・ロムアルデス一派は権力に居座ろうとしている」と一斉に反発の声を上げているのだが、現政権に対するドゥテルテ陣営の不満は、改憲の動きにとどまらない。

むしろ改憲阻止は現政権を批判するネタにすぎないともいえる。ドゥテルテ政権も連邦制を掲げて憲法改正を試みていたのだから。

ダバオ市長が公然と辞任要求

ドゥテルテ陣営の本音は、同じ1月28日にダバオ市で開かれたフォーラムに登壇したセバスチャン・ドゥテルテ市長の演説に凝縮されていた。前大統領の次男である。

セバスチャン氏は、シニアの遺体を英雄墓地に埋葬するというマルコス家の長年の悲願を前大統領(父)がかなえたにもかかわらず、現政権はその父を牢獄に入れたがっていると憤った。

さらに政権交代後、麻薬汚染が再び蔓延していると不満をぶちまけ、「大統領、あなたは怠惰で国民への思いやりに欠けている。国を愛せないなら辞任すべきだ」と言い放った。

マルコス、ドゥテルテ両家の蜜月は、シニアの英雄墓地埋葬がきっかけだった。シニアは1989年に亡命先のアメリカ・ハワイ州で客死し、遺体はその後、故郷の北イロコス州に運ばれた。

マルコス家はマニラ首都圏にある英雄墓地への埋葬を希望していたが、戒厳令下で拷問などの人権侵害にあった被害者らが反対し、歴代政権も認めてこなかった。ところがドゥテルテ前政権誕生した2016年、前大統領が埋葬を認めた。その後、両家は急接近した。

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