中国の書店が「親日」であるのにはワケがある 「嫌中本」が売れる日本との決定的な違い
同行した中国人女性はこう言う。
「日本を嫌いだ、という人も確かにいます。でも文化は別。日本の政治家がやることは気にいらなくても、日本の文化はすばらしいと多くの中国人は認めている。日本の小説は、読んでいて面白いし、夢中になれる。そう思っている読者がいなければ、書店の日本本の豊富な品ぞろえは説明できないでしょう?
『失楽園』の渡辺淳一も人気作家のひとりですね。経済的に豊かになった人々の一部が、中国では御法度だった不倫をするようになり、そういう面でも、彼の小説は支持されるようになったのかもしれません。彼が亡くなったときも、新聞で訃報が大きく取り上げられていました。彼の小説は単なる愛欲物語というのでなく、人間の本性や機微が描かれているからじゃないでしょうか」
日本の本には、説教くささがない?
中国も日本同様、書店は読者の“需要”によって支えられている。需要がなければ、店頭に本が並ぶことはない。特に日本の小説の人気の高さが際立っているのは面白い現象だ。
その理由について、中国事情に詳しい亜細亜大学准教授の三橋秀彦氏は「日本の小説はさりげない日々の暮らしや社会生活に根差した軽い題材がテーマとなっていることが多く、市井に暮らす中国人にとっても、共感しやすい内容が多いからではないでしょうか」と解説する。
中国の小説といえば、日本人の知るところでは、古くは魯迅、老舎などの作品がある。魯迅は日中両国で評価が高い数少ない作家だが、以前、上海の名門、復旦大学で学ぶ男子学生は「魯迅の文体は難解でわかりにくく、独特だ」と話していた。『藤野先生』などは日本語で読めばわかりやすいが、中国人作家の小説は、中国人から見て「格調が高くてとっつきにくい」ものが多いらしい。「読書=文化人のぜいたくな娯楽や教養、だと受け止めている中国人が多いからではないか」と三橋氏は指摘する。
つまり、学歴にかかわらず、趣味や嗜好によって、あらゆる本を乱読して楽しむ日本人型の「読書」とは違い、中国人は読書=勉強、学問だと考えているフシが大きいということだ(ちなみに、今、書いていて気がついたが「読書」という中国語は、日本語では勉強という意味になる。そのものズバリの単語である)。
2012年にノーベル文学賞を受賞したことで世界的に有名になった作家の莫言も、農村出身で、農村での葛藤などを描いた芸術的で高尚な作品が多い。「今の中国の庶民の生活とは懸け離れたもの。中国の農村事情を描けば、中国に対して“凝り固まった古いイメージ”を持つ海外(特に欧米)でのウケはよいのでしょうが、中国人から見て、農村の暗い題材の話なんて、夢中になって楽しく読めるものではない」(前述の女性)と辛口だ。
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