人口統計学者のなかには、広く少子化が進行する第二の人口転換のことを、家族を持ちたいという願望が個人主義に取って代わられるからだと説明する人がいるが、そのような普遍的な傾向の存在は誇張の産物でしかない。実際はもっと複雑で、人々のものの考え方、イデオロギー、宗教が、それぞれに出生率の上昇や下降との結びつきを徐々に強めている。
キリスト教やユダヤ教のコミュニティと同じように、イスラム教国でも宗教的帰属・実践と大家族は関連している。同じ社会のなかでも、あるサブグループは大家族を望み、別のサブグループは小家族を望んでいる。そしてそのような一律ではない指向が、国の内部の、あるいは国家間の人口バランスを変化させていく。モルモン教徒の現在の人口は1947年の15倍だが、それは少なくとも部分的には、高い出生率に支えられてのことだ。
やがて「出生率の高い宗教集団」だけが残るか
そうなるとこんな考えも浮かんでくる。子だくさんをよしとするこれらの集団の子孫が同じ考え方を長期的に継承していくとしたら、やがて世俗主義の社会は姿を消し、宗教集団だけがこの地球を受け継ぐことにならないか。
いや、そこには何の確実性もない。宗教集団が拡大を続けるためには、出生率だけではなく信者の維持も同じくらい重要である。だがこの点については十分なデータがない。イスラエルでもほかの国々でも、ハレーディームの生活様式から離れていく人々がいるのは確かなのだが、どうやらその人数は、今のところ彼らの自然増加に比べると少ないということなのだろう。
社会全体で見れば、アメリカでもヨーロッパの多くの国でも宗教離れが進んでいる。前近代の都市が人口維持のために絶えず農村からの人の流入を必要としたように、現代の世俗主義の社会も、自分たちより伝統的で出生率の高いコミュニティから随時人を招き入れている。だが、入ってきた人々の出生率はその後下がる傾向にある。
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