50年前、無名の土地がシリコンバレーになった背景 夜8時半以降は夕食を食べるところがなかった
巨大なウラジーミル・レーニンの銅像を背にした壇上で、大統領は群衆にこう語った。ハイテクのこうした奇跡は、アメリカ式民主主義が可能にするものの最高の表現なのだ。思考と情報の自由は、コンピュータチップとPCを生み出したイノベーションの波を可能にした。
ハイテク起業家たち(「君たちと年齢は同じくらいだぞ」、と彼は学生たちを戒めた)ほど、アメリカの自由な事業精神――特にレーガンが大好きな税金の低い規制の弱いもの――を実証しているものはない。彼らは郊外のガレージでいじるところから始めて、最後はすさまじい大成功をおさめたコンピュータ企業を率いることになる。
その日モスクワで、次の革命は技術的なものになる、とレーガンはさらに説明した。「その影響は平和的なものだが、根本的に世界を変え、古い思いこみを叩き潰し、生活を一変させる」。そしてそれを先導するのは、「専門家がバカにするようなアイデアを掲げて、それが人々の間で大人気を博するのを眺める」だけの勇気を奮い起こした若いテクノロジストたちなのだ。
ヒッピーとレーガンの意見が一致した場所
「パーソナルコンピュータ運動」と呼ぶものの現場にいた男女の多くは、60年代カウンターカルチャーの子供たちだった。その左派的な政治は、レーガンの保守主義からはこれ以上ないほど遠いものだった。
だがここに、ヒッピーとレーガンの意見が一致する場所があった。コンピュータ革命は自由市場の魂を持っている、というわけだ。
もちろん、革命の比喩は目新しいものではない。フランクリンとハミルトンの時代から、アメリカの発明家とその政治パトロンたちは、新技術が世界を変えるという大胆(かつ予言的)な主張を行ってきた。
19世紀の小説家ホレーショ・アルジャーからアンドリュー・カーネギーやヘンリー・フォードまで、政治家やジャーナリストは、才覚により成功する起業家という存在を、アメリカ人のできること、やるべきことの見本兼お手本として持ち上げてみせた。ボロから大金持ちにのし上がれるのはアメリカでだけだ。肩書きなど関係なく、能力だけで判断してもらえるのはアメリカでだけだ。
このお話の中で、シリコンバレーはまさに目下進行中のアメリカ革命の、最新にして最高の例に思えたのだった。(後編に続く)
(訳:山形浩生・高須正和)
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