50年前、無名の土地がシリコンバレーになった背景 夜8時半以降は夕食を食べるところがなかった

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その後10年たって、パーソナルコンピュータがオフィスのデスクに大量発生するようになり、ジョブズやゲイツといった姓の天才少年起業家たちが世間の想像力をつかみ取るようになってからでさえ、シリコンバレー自体は大きな動きの中で脇役のままにとどまっていた。

風がまともに吹かないときには、黄土色のスモッグがその整然としたベッドタウン郊外地区には垂れ込めていた。こげ茶色のオフィスビルはどれも区別がつかない。そして夜8時半を過ぎたら、夕食を注文できるところは1つもない。あるイギリスからの訪問者はゾッとして、そこを「ポリエステルのホビット領」と呼んだ。

とんでもない高みに舞い上がり、そして墜落

その後シリコンバレーとその姉妹テクノポリスたるシアトルでは、ホビットたちは維持しつつ怠惰な雰囲気を失い、1990年代のドットコム時代にはとんでもない高みにまで舞い上がった――ベンチャー資本家ジョン・ドーアはそれを「地球上で目撃された中で、唯一最大の合法的な資産創造」と呼んだ――が、新千年紀がやってきて、NASDAQ暴落の音と共に地面に墜落して、かつては輝いていたインターネット企業の死骸がそこらじゅうに散乱する結果となった。

雑誌の特集記事は熱狂の終わりを宣言し、陰気な顔の証券アナリストたちは、「買い」推奨を「売り」に変え、ウォール街の注目は再び、もっと予想しやすいブルーチップ古参企業のリズムに戻っていった。アマゾンのロケットめいた台頭は熱にうかされた夢のように思え、アップルは製品アイデアが枯渇し、マイクロソフトは会社の分割を命じられ、グーグルはガレージ企業でトップたちは利潤をあげるよりバーニングマンにでかけるほうに興味があるようだった。何という変わりようだろう。

そして現在まで時計の針を進めると、シリコンバレーはもはや、北カリフォルニアの一地域ではなくなった。それはグローバルなネットワーク、ビジネス感覚、文化的な簡便記法、政治的ハックとなった。世界中の何百もの場所が改名して、シリコンなんとか――砂漠、森林、ラウンドアバウト、ステップ、ワジ――となり、そのオリジナルの魔法を多少なりとも捕らえようとしている。

シリコンバレーのリズムは、その他あらゆる産業の働きを左右する。人間のやりとり、学習、動員のあり方まで変えてしまう。権力構造をひっくりかえしたり、強化したりする。シリコンバレーの生み出した億万長者マーク・アンドリーセンが数年前に述べたように「ソフトウェアは世界を喰い尽くしている」。

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