50年前、無名の土地がシリコンバレーになった背景 夜8時半以降は夕食を食べるところがなかった
ジャーナリストのスティーブン・レヴィーが1984年に、コンピュータをパーソナルなものにするのに貢献したハードウェアやソフトウェアの技術おたくたちが作り上げる驚異的な新しいサブカルチャーを著すのに使った、「ハッカー倫理」なるものの1つの支柱は「権威を信用するな――分散化を促進せよ」というものだった。「権威」というのは、ビッグブルーことIBM、大企業、大きな政府のことだ。
これは当時として完璧なメッセージだった。10年以上も一貫して暗いビジネスニュース――工場閉鎖、ブルーカラー職が海外に奪われ、企業リーダーたちは不手際ばかり、アメリカのブランドは外国の競争に次々に敗れる――が続いたあとでハイテク企業はまばゆい、有望なコントラストを示していた。
くたびれた中間管理職や仏頂面の保守派とはちがって、タンデムコンピュータのジェームズ「ジミー・T」トレイビッグのように社員のために毎週ビール宴会を開いたり、会社のプールサイドで、アルフレスコ記者会見を開いたりする派手な重役がいた。
アドバンスド・マイクロデバイス(AMD)のジェリー・サンダースといったCEOは、週ごとにロールスロイスや最新鋭メルセデスを次々に買った。そしてもちろん、アップル社のスティーブ・ジョブズやマイクロソフト社のビル・ゲイツは、新種の企業リーダーの見本となっていた。若く、型にはまらず、とんでもなく金持ちなのだ。
旗振り役となったロナルド・レーガン
さらに時代の代名詞となった人物、ロナルド・レーガンがいた。大きな政府に対する救世主、規制緩和市場の擁護者、「起業家の時代」と自称したものの旗振り役だ。
この大いなるコミュニケーターにとっては、アメリカの自由な事業精神を何よりも表している場所や産業は、シリコンバレーだった。そして彼は特にその美徳を外国の聴衆に向けて自慢してみせるのに熱心だった。
1988年春の歴史的なソ連訪問に際し――これは14年ぶりのアメリカ大統領訪ソで、ほんの数年前にソ連を「悪の帝国」と呼んだ指導者としては驚くべき動きだった――レーガンはモスクワ国立大学の計算機科学の学生600人の前に立ち、アメリカ製マイクロチップの栄光をほめそやしてみせた。
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