経済学者が間違い続けた年金理解は矯正可能か Q&Aで考える「公的年金保険の過去と未来」(上)

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こうした話の背景がわからない人たちが多くいることも想定されて、2022年12月の全世代型社会保障構築会議の報告書では、「広範かつ継続的な広報・啓発活動を展開するべき」と書かれている。

また、厚労省年金部会や全世代型社会保障構築会議で私が繰り返し言っていることは、新たに厚生年金の適用拡大の対象となる企業の事業主には、「公的年金シミュレーター」を利用して労働者とのコミュニケーションを義務付けるべしということと、厚生年金をはじめとする被用者保険の適用基準となる月額8.8万円の意味(何の給与、収入、手当が対象なのか)を正確に労働者側、使用者側ともに理解してもらう努力を地道にするということだ。

被用者保険適用基準である基本給月額8.8万円は、年末調整ができないように意図して作られたものだ。月額8.8万円に12カ月をかけた年収106万円と130万円とを並べて「壁」だ「働き損」だと言っている人たちの話は、制度や歴史を理解するのが苦手な人たちと思って、一事が万事信じないことだ。

厚生年金の適用除外規定がもたらす問題を解消する制度的対応策は、岸田文雄総理が自民党政務調査会長だった2018年に政調審議会でまとめた「人生100年時代戦略本部」報告書にある。「所得の低い勤労者の保険料は免除・軽減しつつも、事業主負担は維持すること等で、企業が事業主負担を回避するために生じる『見えない壁』を壊しつつ、社会保険の中で助け合いを強化する」のが勤労者皆保険である。この制度はマルチワーク、副業社会に対応できると同時に、交渉力の弱い労働者を守ることにもなるので、貧困、格差も緩和する。勤労者皆保険の実現を私は心より応援している。

──年金にいつも誤解が多いのはなぜか。

1つの制度がGDP(国内総生産)の1割ほどを占める規模に達する公的な再分配など、20万年ほど前に誕生したホモサピエンスは、直近まで持ったことがなかった。彼らは、30年後、50年後、70年後の人生など考える必要もなく進化して生きてきたために、「時間軸」が関わる問題を理解できる仕組みを遺伝子の中に備えていないという認知上のバグ、近視眼バイアス(myopia bias)を持っている。

経済学者たちがそろって、今日の拠出が将来の給付につながるという時間軸が入っていない所得・余暇選好場モデルや給与・手取り平面図を用いて社会保険を論じて、仲間内でのエコーチェンバー的に、「そうだ、そうだ」と言い続け、その声が増幅されたのはその典型だ。

時間軸が関わる事象は理解に間違いが生じるという認知バイアスの存在ゆえに、長期的なことを考える職務に就いて毎日の時間を終身の年金給付の設計に費やす人たちの言う話など、普通の人たちは理解できるはずもない。

公的年金保険を理解できない度合いは、教養や学歴とは関係がなく人間の認知バイアスゆえに間違えるという側面があるために、私は、いわゆるトンデモ年金論を「ヒューリスティック年金論」と呼んできた。

トンデモ年金論を展開してきた経済学者の多くは、ヒューリスティックスの中でも、慣れ親しんだものにあてはめて考える代表性ヒューリスティックに陥っていた。2009年の週刊東洋経済の特集「年金大激震」に、「公的年金を市場経済の領域である民間保険の考え方で眺め」とあったが、あれが代表性ヒューリスティックだ。先に紹介した堀先生の言葉を借りれば、「公的年金と市場経済システムに属する私的年金と混同し」ということになる(ヒューリスティック年金論については「人はなぜ年金に関して間違えた信念を持つのか」<2019年8月21日>参照)。

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