経済学者が間違い続けた年金理解は矯正可能か Q&Aで考える「公的年金保険の過去と未来」(上)

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──国際的に高く評価される日本の年金制度。それなのに国内ではなぜもめ事が多いのか。

現実の制度は関係者たち相互の力と説得による妥協の産物である(『もっと気になる社会保障』の「第1章 不確実性と公的年金保険の過去、現在、未来観」参照)。

公的年金の歴史は、制度の持続可能性、給付の十分性を忠実に考えてきた厚生労働省年金局と、かたくなに負担を忌諱する経済界、給付は支持するが負担には経済界と足並みを揃えて反対し続けてきた労働界、そして上智大学の堀勝洋名誉教授の言う「政治システムに属する公的年金を市場経済システムに属する私的年金と混同し、年金制度の基本的考え方、趣旨・目的、制度の細部について知らないままに現状を単純な視点で分析し、複眼で判断するべき年金制度について思い付きで改革案を提示」してきた経済学者、そこに年金不安を言えば支持を得られる野党という演者たちによる大衆演劇であったかのように見える。

今を賑わす「年収の壁」騒動も、社会保険制度を知らない労働経済学者たちが、「壁だ」「不公平だ」「抜本改革を」と長く論じ続けてきたことが歴史の源流にある。彼らの言う「働き損」の話を真に受けた多くの人たちが、就業調整に至り、将来の後悔につながる選択をしている。この現象を経済学者たちによる「予言の自己実現」と呼んできたが、年金周りではしばしばみられる残念な話だ。

ところが、今回の騒動をきっかけに、制度を知りデータを精査すると、就業調整は誤解に基づくものが多く、むしろ問題は、短時間労働者に対する厚生年金保険の適用除外規定が労働者には「見えない壁」となって、使用者による労働者の「働かせ方」に悪影響(使用者が正規労働者より短時間の非正規労働者を好む)を与えていることにあるとの理解へと変わり、彼らは今、ドミノ倒しのように従来の論を変えてきている。

「年収の壁」騒動の着地は勤労者皆保険の実現

──2023年に亡くなられた堀先生は、今引用された最終論文の中で、「トンデモ論にかかわり過ぎたことに対し若干の悔いは残るが、年金を研究してきたことはよかったと思っている」と結ばれてる。「年収の壁」騒動は最終的にどのように着地すべきか。

堀先生は昨年亡くなられた。本当にお疲れ様でしたと言いたい。堀先生の世代にも騒動をおこしたトンデモ経済学者がいた。そして今もいる。しかも過去、若いときにトンデモ論を唱えてその間違いが明らかになっていった者たちは、認知的不協和に陥っていくのが常だ(『ちょっと気になる社会保障 V3』x頁参照)。

年金論者は時系列で評価する必要があり、過去に間違えたことが明らかになっていった者たちは、自らを正当化しようとする心理ゆえに制度の歩みが歪んで見えるようである。そのため、彼らが日本の公的年金保険を適正に評価することは難しい。しかし彼らの歪んだ論はメディアには欲しい存在ではあり、それゆえに、報道が荒み、年金不信が増幅されてきた。

「年収の壁」騒動は現在進行形だが、年金局の資料では一貫して「いわゆる年収の壁」と書かれ、2022年末の全世代型社会保障構築会議の報告書では「いわゆる就業調整」とあり、制度を知っている者たちは、誰も、世間で騒がれている「年収の壁」を超える働きを、「働き損」だとは思っていない。保険を買ったり貯金をしたりすれば、その年の消費に回せる年収は減るが、そのどこが「働き損」なのか。社会保険と税の区別がつかず、おかしなことを言ってきたのがいたことは確かだ。

かつて年金破綻論を真に受けて、年金が破綻する前に受給し始めるのが正しいと信じて、年金額が低くなる繰り上げ受給を選択した者もいたようだが、その人たちは長生きすれば後悔するだろう。年収の壁騒動も同じで、「年収の壁」「働き損」という学者やシンクタンクの言葉を、そして、その声に拡声器をつけた報道を信じて、就業調整をしている人たちは、将来自分の過去の選択を後悔することになるだろう。しかし、いつものように経済学者たちには責任は求められない。

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