ローカル列車から特急まで「国鉄型気動車」の軌跡 日本の鉄道近代化を支えた懐かしの車両たち
キハ10系に次いで1957年に登場した一般形気動車がキハ20系だ。軽量化のため車体がやや小さかったキハ10系に比べ、一般的な電車や客車と同等の車体で居住性が向上し、全国各地の路線に投入された。
キハ20系もさまざまなタイプがあり、エンジンを2基搭載してパワーアップしたのが1958年に登場したキハ52形で、高原鉄道の愛称で知られる小海線など勾配線区で活躍した。近年までJR線で活躍しており、最後に残った大糸線では2010年3月のダイヤ改正で引退した。同線で走っていたキハ52形は千葉県の第三セクター、いすみ鉄道に移籍し、今も元気な姿を見せている。北海道向けには1958年から耐寒耐雪構造で窓が小さくデッキ付きのキハ22形が開発され、東北地方でも活躍した。
優等列車にも進出した気動車
昭和30年代、気動車は普通列車だけでなく優等列車にも使用されるようになっていった。初の優等列車用気動車キハ55系は1956年から1960年にかけて486両製造され、全国の幹線で活躍した。最初に投入されたのが準急「日光」だったことから「日光形気動車」とも呼ばれた。
筆者の地元だった北陸本線では、1960年10月のダイヤ改正で準急「しろがね」「こがね」が誕生した。どちらも名古屋から高山本線や北陸本線を経由して再び名古屋に戻る、いわゆる循環列車で、「しろがね」が名古屋―岐阜―高山―富山―金沢―福井―敦賀―米原―名古屋というルート、「こがね」はその逆ルートを走り、新製されたばかりのキハ55系(55形、26形)の編成で運転された。
武生出身の筆者は、当時のカラフルな車体の「しろがね」に乗って米原経由で名古屋まで旅したことがある。これが筆者の初めて乗った優等列車だった。この2つの列車は走行距離が540.9kmと、当時では日本一のロングラン準急だった。ゆえに名古屋発23時56分「しろがね2号」は夜行列車で、翌11時06分に名古屋に戻ってきた。
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