ローカル列車から特急まで「国鉄型気動車」の軌跡 日本の鉄道近代化を支えた懐かしの車両たち

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循環列車は、電化区間・非電化区間を直通でき、分割併合も自由自在な気動車の本領発揮の場だった。札幌発着の急行「いぶり」も筆者には懐かしい列車である。1962年10月に準急として臨時列車ながら函館本線、胆振線、室蘭本線、千歳線経由で運転を開始し、1966年に急行に格上げされた。使用車両はキハ22形の1両のみで、急行「らいでん」や「ちとせ」と分割併結を繰り返しながら走る列車として気動車ファンには人気があった。

急行いぶり キハ22
さまざまな列車と分割併合を繰り返しながら走った循環列車の急行「いぶり」(撮影:南正時)

キハ22形は前述のとおり耐寒仕様車として北海道や東北地方に配置されており、筆者も蒸気機関車撮影の時代にはあちこちでお世話になった。外は吹雪でも車内は汗ばむほどの暖かさだったことをよく覚えている。

気動車が広げた全国急行・特急網

1961年に登場したキハ58系は本格的な急行用気動車で、それまで客車によって運行していた急行列車に投入され、全国で鉄道の近代化を促進した。製造両数は1823両にもおよび、気動車としては最多を誇っている。キハ58系列では北海道向けのキハ56系、アプト式時代の碓氷峠対応車両キハ57系など派生した車種も多い。

急行ときわ・奥久慈 キハ58
常磐線を走るキハ58系の急行「ときわ・奥久慈」。気動車は分割併合が自在な特徴を生かして複数の列車を併結することが多かった(撮影:南正時)

国鉄車両ではないが、キハ58系の中で特筆すべき車両について述べてみたい。中央本線の大月から富士山麓に至る富士急行は新宿直通のため自社でキハ58系の同型車を導入し、1962年から急行「かわぐち」として運転開始した。富士急行も中央本線の大月―新宿間も電化区間であるにもかかわらず気動車を新造したのは、併結する急行「アルプス」が非電化区間を走行するため気動車で運転されていたからだ。

富士急行の車両は1975年3月に「アルプス」が電車化された際にその使命を終え、和歌山県の有田鉄道に譲渡された。筆者が1976年に同鉄道を訪れたときは単行運転用の両運転台型、キハ58003が国鉄色の美しい車体でミカン畑を縫って走っていた。2002年12月に同鉄道が廃止された後、金屋口駅跡に設けられた「有田川鉄道公園」内に動態保存されている。

有田鉄道キハ58003
富士急行から有田鉄道に譲渡されたキハ58系(キハ58003)(撮影:南正時)
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