大阪人なので漫才好きではある。いや、正しくは、だった、というべきかもしれない。60も半ばを過ぎると若手漫才師のセンスについていけなくなり、最近ではM-1をふくめ、漫才番組を見ることはあまりなくなった。
しかし、昔は違った。年末のM-1決勝戦は本当に楽しみにしていた。この本『M-1はじめました。』を読んで、そのころの興奮がありありと蘇ってきた。第1回から第10回までの王者は、その順序も含めて覚えていたほどだ。
大阪的な漫才の感覚が「全国区」に変化
M-1グランプリ2004で大阪のコンビではないアンタッチャブルが優勝した時は、漫才好きの大阪人としてガッカリした。だけど、2007年に東北出身のサンドウィッチマンが敗者復活戦から上り詰めた時には快哉を叫んでいた。意識しない間に、自分の中での漫才についての感覚が大阪的なものから全国区へと変わっていったのかと思う。きっとそれはM-1のおかげだ。
興奮がマックスになったのは、最終回となるはずだった2010年の大会だ。現在はデビューから15年まで出場権が与えられているが、当時は10年までだった。
第1回から出場しつづけ、なんと第2回から9回連続で決勝戦に残っていたコンビがいた。こう書くとすごいが、9回連続で優勝できなかったということでもある。ボケとツッコミではなくて、2人ともがボケるというWボケ漫才の「笑い飯」である。そのコンビが「最終回」に優勝したのだから、盛り上がらないはずがない。まるでヤラセみたいだが、M-1は完全にガチンコ勝負だ。
この興奮には大きな伏線があった。決勝戦は9~10組がファーストラウンドに臨み、高得点を得た3位までが最終決戦に勝ち残る。そして、王者は審査員の票数によって決められる。
前年のM-1ファーストラウンドで笑い飯が見せた「鳥人」(とりじん)というネタは信じられない面白さだった。久しぶりにネットで検索して見てみたが、爆笑してしまったほどだ。しかし、最終決戦で披露した下ネタ「チンポジ」で大滑りを招き、優勝を逃していたのだ。数年前に笑い飯の哲夫さんとお食事をする機会があったのだが、その時も鳥人の話で盛り上がった。
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