徳川家は「260年続く平和な日本」どう築いたか 秀忠が発布「武家諸法度」からヒントを探る

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元和元年の武家諸法度の内容を整理すると「文武奨励」「遊楽禁止」「法に背いた者の処罰」「叛逆者・殺人犯の隠匿禁止」「他国の者を自国に住まわせない」「城郭修理許可制」「徒党禁止」「私婚禁止」「参勤作法」「衣装統制」「乗輿制限」「倹約奨励」「国主の在り方」ということになるだろう。

徳川幕府は、この武家諸法度発布よりも以前、家康と豊臣秀頼の会見直後の慶長16年(1611)4月にも「三カ条誓詞」というものを諸大名に出して、誓約させている。

そこには「右大将家(源頼朝)以後、代々の幕府(将軍)の法式のように、これを仰ぎ守ること」「法に背き、上意に背く者は、国々に隠し置いてはならない」「家臣がもし叛逆・殺人を犯したならば、かくまってはならない」とあった。

掟を破った人はどうなったのか

三カ条誓詞は武家諸法度と被る条文内容もあるが、どちらの法令も、徳川幕府は鎌倉幕府の源頼朝から足利幕府を経て続いてきた武家政治の伝統を継承するものと認識され、それが徳川幕府の統治(政治)の正当性を支えるものとされたのである。

ちなみに、武家諸法度は、8代将軍・徳川吉宗(在職1716〜1745年)の時代に至るまで5度の改訂がなされている。有名なものが、3代将軍・徳川家光の時代の「寛永令」(1635年、19カ条)だ。

この時に「大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ」と、参勤交代の規定が登場した。また「500石以上の船」を作ることの停止も盛り込まれた。武家諸法度の違反者は厳罰に処された。

武家諸法度を破った人はいるのか。有名な人物では、福島正則が挙げられる。彼は、元和5年(1619)、幕府の許可を得ず、広島城を修繕したことから、改易となったのだ。

福島正則は信濃・越後国内で4万5000石を与えられ、高井野(長野県上高井郡高山村)にて謹慎、寛永元年(1624)に同地で亡くなった。

武家諸法度は、将軍の代替りごとに諸大名にこれを読み聞かせ、違反した大名には厳罰が加えられる、厳しい内容だったのだ。

(主要参考文献一覧)
・笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房、2016)
・藤井讓治『徳川家康』(吉川弘文館、2020)
・本多隆成『徳川家康の決断』(中央公論新社、2022)

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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