日本発ラグジュアリーブランドが生まれない理由 製品開発論研究者が語る日本流ものづくりの限界

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「えーと、つまり、ラグジュアリーブランドってのは、フィッツジェラルドの、『華麗なるギャツビー』に出てくる贅沢なパーティみたいな消費ということでしょうか……」

「おう、そうそう。あんた案外予習しているな。ただあれだって元は、ローマ時代のトリマルキオの饗宴というのが元ネタなんだよ」

後で聞けば、山口氏は同志社の英文学科の出身で、西洋の古典教養、美術史や文学史にも詳しいのがミキモトの顧客、中でも貴族に気に入られた。先方の邸宅に商品を持っていっても、ずっと歴史文学の話になって、最後にチラッと商品を見た相手が、気に入った商品を糸目をつけずに買い取る、という様子だったらしい。

アメリカ流マーケティングで見落としていること

「アメリカのマーケティング学者はさ、商品に何らかの意味が付与されていて、消費者はそれを記号として消費する、とか言うじゃないか。元はボードリヤールかな。でも、いくら宝石の商売だって、それがすべてでもないんだよな。神様がつくったような美しい石が、やっぱり時にはある。

そして、それを感じ取ることができて、それに魅入られた人の中には大金持ちもいて、金に糸目をつけずに買うから、高い値段になる。そのとき、その石は記号じゃないよ。その石に付与された意味ではなく、文字どおり、その石自体の美しさを、どんなにお金を出しても自分で所有したいだけなんだな」

その後、筆者は山口氏が収集した天然真珠のコレクションを、神戸の山本通の真珠流通業界団体の会議室で見せてもらったことがあった。業界の旦那衆の勉強会の末席にいさせてもらったのである。

その中に、ピンク色のコンクパールでとても鮮やかに火炎模様が浮き出ている直径15ミリほどの大珠があった。神様の気まぐれとしかいいようのない、奇跡のようなコンクパールを見ていて、脳の奥のほうから、じわっと温かい血行が蘇ったような、解れるような感覚を味わった。

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