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日本発ラグジュアリーブランドが生まれない理由 製品開発論研究者が語る日本流ものづくりの限界

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  • 三宅 秀道 経営学者、専修大学経営学部准教授
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筆者がそれに気づいたきっかけは、ミキモト出身の宝石商で、また世界的な宝飾史家でもある山口遼氏をインタビューした経験である。このインタビューをもとに、筆者は自分なりのラグジュアリー論をモデル化した。

それをかつて『新しい市場のつくりかた』という本にも書いたので、ご興味のある方は同書の第8章をご覧いただきたい。

コモディティとラグジュアリーは成り立ちがまったく違う

「三宅さんね、ラグジュアリーを調べようってんなら、コモディティの世界からできあがったブランド理論は、あれ、まったく役に立たないよ。ラグジュアリーブランドは、コモディティブランドとはまったく、成り立ち方が違う。

つまり、われわれも含めて、ラグジュアリーブランドってのは、自信のない消費者のためにある。自分の美意識に自信があって、自分がこれだけの金を払う価値があると思うならそれでいい、と思う客には、ブランドなんてただの屋号で、ありがたがるようなもんじゃない。

ヨーロッパでいうと、そういう客は、つまり、貴族です。でも、自分の目利き、美意識に自信がない消費者がいて、しかし、彼らは金は払える。つまり、そういう成金が、経済成長でたくさん発生して、彼らが文化的に憧れる対象が貴族で、その貴族がどこの店で何という商品を買うか、それをじっと見ていて、その真似をする。そのときに役に立つ目印の記号がラグジュアリーのブランドなんだ。

成金が貴族の真似をして、ああこれで自分も文化的な暮らしができている、と安心できる。落語の『茶の湯』みたいなものです。人間っていうのは、金が手に入ると、次に文化教養を欲しがる。そのときに、モノの良し悪しを自分ではわからないから、その銘柄を見る、それがラグジュアリーブランドです」

ミキモトのヨーロッパ外商部門のトップセールスマンとして、王侯貴族にジュエリーを売ってきた山口氏の言葉には説得力があった。

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【「記号としての消費」だけでは説明できない】

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