日本発ラグジュアリーブランドが生まれない理由 製品開発論研究者が語る日本流ものづくりの限界

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これまで生活消費財のさまざまな分野、宝飾品、衣料品、インテリア、陶器など、いろんなものづくりを調査取材してきた。ご協力いただいた方たちに深い敬意を抱きつつ、本当にもったいないと思う。

高品位品とラグジュアリーブランドを分けるもの

これらの業界の多くの方々は、「真面目にいいものをつくっていれば、いつか世間がわかってくれてブランドの声望が高まるのでは」と思っている。いわば「至誠天に通ず」派である。その可能性は確かにゼロではないが、かなり低い。

厳しい言い方をすれば、彼らはものの品質ばかりを見て、消費者にとっての価値、そしてその意味を見ていない。特に、消費者がなぜ、いわゆる「ラグジュアリー」を買うのか、それになぜ、どのような価値を見出しているのか、そこに考えが及ぶところが少ない。

結果として、彼らは消費者の欲求をちゃんと見すえない。それでは当然、ブランドのプレステージを構築することも困難である。目隠しをしてトランプの城を建てようとしているようだ。

消費者は「なぜ」「何のために」ラグジュアリーを買うのか? ここにこそ、単なる高品位品と、ラグジュアリーブランドを分けるものがあると筆者は考える。

単なる高品位品と、ラグジュアリーブランドを分けるのは、消費者がそれをなぜ選び、買うのか、その動機である。たとえば、ここに1つ、丁寧につくられた美しい生活消費財Xがあるとする。そして、これを店頭で発見する消費者AさんとBさんがいて、ふたりがXを買う動機はそれぞれに違うとする。

このとき、同じXなのに、Aさんにとってはそれは単なる高品位品で、Bさんにとってはラグジュアリーブランド商品であったりする。消費者の購買動機が、単なる高品位品とラグジュアリーブランド商品を分けるというのはこういう意味である。

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