日本発ラグジュアリーブランドが生まれない理由 製品開発論研究者が語る日本流ものづくりの限界
特に課題となるのは、社長さん、あなたの『ラグジュアリーとはこういうものだ』というものの見方、つまり、ラグジュアリー観です。そこからガラッと変えることができますか?」
こんなことを実務家の人に言うにも、誤解されずに十分にこちらの意を尽くすように伝えるのは難しい。相手のものの見方の根本から、覆そうとする物言いになってしまう。実際には口にせず、こちらの胸にずっと苦いもどかしさがわだかまってきた。
ラグジュアリーへの「哲学」が欠けている
筆者は縁あって、日本の工芸やファッションアパレル業界の調査取材の機会に恵まれてきた。また、2017年から2019年にかけて、フランスのEHESS(社会科学高等研究院)の国際共同研究プロジェクトに参加して、日仏のクラフト業界の比較調査に加わった。
このプロジェクトはLVMHの本社がスポンサーとなり、調査協力も得られたので、非常に貴重な知見を得られた。
さまざまな消費財の分野で、日本には優れた技能を持つ職人人材も、また高品質の素材も、才能あるデザイナーも揃っている。消費者の目も肥えている。そこに目を向ければ、日本からラグジュアリーブランドが輩出される要素は揃っているように見える。
しかし日本には、素材はあるが、それを実際にラグジュアリーに持っていくための「ラグジュアリー哲学」が、きわめて乏しい。言葉を選ばずに口にすると、日本で生活消費財の製造に携わる人々の多くは、あまりにも「無邪気な職人」なのである。
だからこそ、彼らは真面目にいいものをつくることができるのかもしれない。同時に、だからこそ彼らはラグジュアリーを理解することが難しい。
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