元パナ技術者「重度障害者に言葉を取り戻す」挑戦 独立してコミュニケーション支援に人生懸ける

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ファイン・チャットの原型となったのは、かつてパナソニックが販売していた「レッツ・チャット」という装置だ。基本的な機能はほぼ同じで、旧松下電器産業の社員だった松尾社長が2003年、社内ベンチャーを立ち上げて開発した。

アクセスエールの松尾社長。パナソニック時代を含めて1000人以上の患者を支援してきた(記者撮影)

構造がシンプルな分、フリーズなどのトラブルは皆無。扱いやすさから高齢者や子供にも喜ばれ、多くの重度障害者に意思疎通の手段を取り戻してきた。松尾社長は業務の傍ら、全国の患者宅を飛び回り、装置の導入に奔走。これまでに支援したのは、会社員時代を含めて計1000人を超える。

その中には、医師に「意識は一生戻らない」と宣告され、回復のためのリハビリを打ち切られていた人もいる。「死ぬまで病院の中」と言われていたのに、装置を用いてコミュニケーションが取れることを証明し、退院につなげたケースもある。

もう一度「ありがとう」と言えるように

松尾社長はこう語る。「気持ちを他者へ伝えられるというのは、人間として生きるうえで最低限の尊厳です。意思伝達装置では、病気や障害は治せません。ただ、家族や友人にもう一度『ありがとう』と言えるようにできれば、本人も周囲も気持ちの面で楽になるのではないでしょうか」。

もともとはエアコンなどの家電を開発するエンジニアだった松尾社長。転機となったのは1998年。父親の棟吉さんがALSで亡くなったのだ。67歳だった。

ALSは全身の筋肉が徐々にやせ衰え、体が動かなくなっていく難病だ。根本的な治療法や薬はまだ存在しない。棟吉さんは1992年に発症し、やがて寝たきりとなった。

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