元パナ技術者「重度障害者に言葉を取り戻す」挑戦 独立してコミュニケーション支援に人生懸ける
実家から車で1時間ほどの距離に住んでいた松尾社長はある日、母親に電話で「今すぐ帰ってきて」と呼ばれた。急いで向かうと、棟吉さんが廊下で倒れていた。母親が体に寄りかからせてトイレまで連れて行こうとして転倒し、ベッドまで戻せなくなっていたのだ。
棟吉さんは起き上がれず、ただ静かに泣いていた。教育熱心で厳しかったという父親が、初めて見せた弱さだった。「自分で何もできないって、本当につらいのだなと知りました。きっと言いたいことがたくさんあったと思います」(松尾社長)。
それも満足にはかなわない。声を出しにくくなり、意思疎通が徐々に難しくなったからだ。亡くなる直前も、必死に口を動かそうとしていたが、かろうじて聞き取れたのは「かあちゃんを頼む」の一言だけだった。
この時の悔しさを胸に、意思伝達装置の開発と普及活動にのめり込んだ。
患者の家族の声に押されて起業
ただ、大量に数が出る製品ではなく、収支は赤字が続いた。2010年にパナソニックの社内ベンチャーは解散。ユーザーや支援者から「商品を残してほしい」と約10万筆の署名が集まり、社会的な意義を認められて別のグループ企業で事業は続いたものの、2019年7月に改めて生産終了となった。
すると、またしても患者の家族たちから「今使っている機械が壊れたら、もう子供と話せなくなってしまう」といった声が殺到。松尾社長はそれに後押しされる形で退社し、2020年2月にアクセスエールを立ち上げた。
最初の2年は無給で働き、製品の開発資金は退職金とクラウドファンディングで集めて賄った。パナソニック時代から装置の価格を倍以上に引き上げ、さらにスイッチやリモコンなど周辺機器の商品化、ボランティアで実施していた訪問での患者支援の有償化などを実施したことで、会社の運営は軌道に乗っている。
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