決断の時「選択肢は多い方がいい」と思う人の盲点 与えすぎることの弊害を解説、では最適な数は?
なぜなのか、私にはまったく理解できなかった。レゴセットに何か不具合があるのだろうか? おもちゃで遊びたくないのだろうか? 子どもたちは、部屋から出てみんなのところに戻っていいと言われるのを、ただ待っているだけだった。
最初は、私が選んだおもちゃが魅力に欠けているせいだと思った。そこで玩具店を片っ端から回って、子どもたちが好きそうなおもちゃを買い足した。それでもビング保育園の子どもたちは、おもちゃが山と積まれた部屋に入ると、ただぼんやり窓の外を眺めるだけだった。
私はキツネにつままれたような気分だった。たくさんの選択肢に囲まれるという、子どもたちが最もやる気を出すはずの環境で、逆のことが起こっていた。周りに選択肢があふれているのに、子どもたちはただ窓の外を眺めていたのだ。
部屋のおもちゃをレゴだけに絞ってみると…
途方に暮れた私は、ほかのおもちゃを全部片づけて、部屋のおもちゃをレゴだけに絞ってみた。
するとどうだろう? 子どもたちは、部屋に入るなり中央のテーブルに向かい、そこに置かれたレゴセットをじっと見つめると、すぐに組み立て始めた。時間が来ても熱中してやめようとしないので、無理矢理レゴから引き離して元の教室に戻すこともしばしばだった。子どもたちは前と打って変わって、自分から進んで取り組んでいるように見えた。そしてそれは、選択肢が多いからではなく、1つしかないからだった。
繰り返すが、当時の科学界には、やる気を引き出すには選択肢を与えることが重要で、与える選択肢の数は多ければ多いほどよい、というコンセンサスがあった。だが私が目の当たりにしていたのは、それとは正反対の現象だった。
なぜだろう、と私は悩んだ。
時が流れ、ビング保育園での失敗した実験の数年後、博士論文を書き始めた。そして過去の実験を振り返りながら、あの疑問に正面から向き合った。あそこではいったい何が起こっていたのだろう? 私が観察していたのは、科学者がまだ考えたことがない現象なのだろうか? 選択肢が無限にあれば、本当にやる気が高まるのだろうか? それとも、何らかの制約が、とくに上限が必要なのだろうか?
そうして生まれたのが、ジャムの実験だった。
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