しかし、このような顛末に行きつくには、近代資本主義の始まりからの伏線があった。それを振り返り、近代資本主義全体の変動メカニズムを振り返ってみよう。
まず、資本主義が始まった1492年、移動を始めたのは、クリストファー・コロンブスに代表される冒険家(一攫千金を狙う山師)であり、彼を支援した資本であった。
彼らと、付随する資本が世界を回り、収奪し、利益を蓄積していった。「動いたもの勝ち」であり、動いていった欧州が武器と菌により、受け身で待ち受けることとなった世界を汚染し、支配していった。
その後、世界から収奪した富と、中世から蓄積してきた富をフランスの宮廷の王と貴族が大量に消費し、資本は世界から利益を奪う手段だけとしてではなく、欧州社会内部にあふれ出て、経済はテイクオフした。
勃興してきたブルジョワジー(私有財産を持つ豊かな中産階級)たちは、貴族のマネをして、贅沢と恋愛にのめり込んだ。消費は社会全体において膨張を始め、経済は成長(ただの拡大だが)を始めた。
いかにして主導権は消費者へ移ったのか
しかし、ここまでは、必需品のぜいたく化、消費量の増大にすぎなかった。豪華な衣服、豪華な食事、豪華な住居(宮殿)にすぎなかった。産業革命を経て、馬が自動車に変わったときも本質は必需品の代替であった。
移動という必需のサービスが、自らの足から馬になり、馬車になり、自動車になった。だから、経済は過去の延長線上にあり、消費者の求める財は同じものであり、量と質が変化するにすぎなかった。貴族のぜいたく品がブルジョワジーに広がっても、それは大衆とは無縁であったから、経済全体への影響は小さかった。
しかし、19世紀後半から20世紀になると、明確に産業革命は生活革命となって結実した。冷蔵庫、洗濯機、掃除機は、家事労働から人々を解放した。そして、これらは、労働力が都市にあふれ出しただけでなく、庶民に余暇というものを与えた。彼らは暇になったのである。
この暇をつぶすために、レジャーというものが生まれた。余暇をつぶすためのもの、レジャー消費、エンターテインメント消費が急速に拡大していったのである。ラジオが生まれ、テレビが生まれた。
ここに、産業革命ではなく、産業構造革命が起きた。そして、それは消費構造革命に主導されたものだった。ここに、主導権は消費者、大衆消費者群に移ったのである。
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