同様に、経済のダイナミズムも大衆に支配されるようになった。
シュンペーター体系の前提として、生産者側の変化のほうが消費者側の変化よりも速いと想定されている。変化の手段も意欲もインセンティブも生産者側にある。消費者は保守的で、新しい製品を望みもしないし、そもそも想像もできないし、さらに出てきても当初はほとんどの人が拒否をする、とシュンペーターは明示的に述べている。変化の主導は生産者側、企業家なのである。
しかし、これは不十分である。20世紀初頭まではそうだったかもしれないが、そうでない世界もありうることをシュンペーターは軽視していた。目まぐるしく欲望を変遷させる消費者を目の当たりにしていなかったから、消費者主導の経済変動の理論的可能性に気づいても無視した(議論したうえで可能性を排除した)のである。
変化し続けた消費者
シュンペーターの認識と異なり、消費者は変化し続けた。その嗜好、行動の変化は、生産者を振り回すことになった。消費者の変化のスピードに生産者はついていけなくなった。これはわれわれには当たり前の日常的風景であるが、それは21世紀的な日常、時代に固有の特殊な日常なのである。
生産側において、在庫循環の影響は薄くなり、景気循環の消滅はリスク低下を意味し、2000年前後にはこれをIT革命による恩恵、ニューエコノミーともてはやした。
だが、実はこの現象は在庫など持っていたら、消費者の気分の転換によって、あっという間に倒産してしまうことの裏返しであった。
在庫の減少で短期の景気循環は見えなくなった一方、消費者に対するブランドを確立した供給者は、つねに品切れ、入手困難を演出し、消費者の渇望、欲望をかきたて、むしり取り、ぼったくりに成功した。企業群は二極化し、巨大に発展した一極の新しい形の支配企業群の時価総額は、とてつもなく膨らんだ。
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