地図にない?埼玉「見沼たんぼ」江戸から続く理由 多くの開発計画を乗り越え「江戸の景色」残った
萩原さんは「ひと昔前は、エコとかロハスという言葉が流行っておしゃれな感じに惹かれて来る人も目立ちましたが、最近は、もう少し皆さん、深く探求する人たちが多くなっています。落葉する時期が遅くなるなど、夏の暑さの野菜作りへの影響や、地球温暖化による変化についても説明します」と語る。
畑のそばには柿がなっており、柿渋作りも続けている。「柿渋は、番傘や漁師が使う網などに塗る塗料です。柿渋作りの機械を県民博物館に寄付してしまったので、自分の家で使う分を作っています」(萩原さん)。
説明を聞いていたガイドクラブの山口さんは目を輝かせ「こちらにご案内してよければ、外国人の人を案内したいのですが、いかがですか」と尋ねた。「それは面白いですね。染物とか柿渋とか、外国人さんは興味を持つかも」と萩原さんが応じた。
山口さんは昨年10月に見沼たんぼ地域ガイドクラブの募集に応じた“新入り”。半年間の研修を経て、4月に正式に入会した。2020年2月に大手電機メーカーを退職。ボランティア活動や地域の歴史の勉強を始めたところだった。東京・世田谷区生まれだが、父親の仕事の関係で小学校高学年の時、埼玉県に来た。
ガイドクラブ、設立12年目で4回目のガイド募集
見沼たんぼの魅力について、山口さんはこう語る。「どこかの棚田のように、目を見張る風景ではないけど、すごくリラックスできるところ」。
そして「でも深堀りすると、縄文時代の遺跡から漆を塗った弓や櫛が見つかり歴史を見直すきっかけになったとか、中世の豊臣秀吉の小田原城攻めの際に北条方として戦った城もあり、このあたりでこんなことがあった、とか、庶民の感覚に近い臨場感あふれる物語がある。何もないようでいて、掘ってみるといろんな宝物が出てくるんです」と続けた。
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