地図にない?埼玉「見沼たんぼ」江戸から続く理由 多くの開発計画を乗り越え「江戸の景色」残った

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川口市の北側に位置する見沼たんぼは、ほぼ全域で遊水機能を発揮し、一時的に約1000トンの水を蓄えたという。著者は「見沼田んぼの遊水機能がなければ、川口などは床上どころか屋根の上まで水が出て、人命さえ危うかったであろう。大げさにいえば、見沼田んぼによって、私は命拾いをしたといえる」と振り返っている。

川口市史(通史編下巻)には、狩野川台風により「死者2名、床上浸水26798戸、床下浸水2457戸」の被害が記録されている。

見沼代用水は「世界かんがい施設遺産」に登録されている(撮影:河野博子)

再びこの本の記述から。狩野川台風の後、栗原浩元知事(1956年7月~1972年7月)は「見沼田んぼを宅地開発すると、その下流域の住民はどうしても洪水の災害から免れない」と発言し、県農政課に対して見沼たんぼの宅地化を抑えるため、農地法に基づく農地転用を不許可にするよう指示した。

続けて栗原元知事は1965年3月、いわゆる「見沼三原則」(正式名称は見沼田んぼ農地転用方針)を示してスタートさせたという。

埼玉県企画財政部土地水政策課によると、県は1995年3月に「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」を打ち出し、これを受けて「見沼田圃の土地利用の基準の取扱い要綱」を定めた。「見沼三原則」を引き継ぎ、見沼たんぼの治水(遊水)機能を保持しつつ、農地、公園、緑地などとして利用していくこととし、必要な施策を行っている。

県は芝川の河道の改修や調節池の整備も進めているが、豪雨時に見沼たんぼが一時的に水を貯める遊水機能を重視した。最近、政府は流域治水対策を打ち出し、全国で田んぼを活用する「田んぼダム」が注目されている。見沼たんぼは、その流れを先取りしたといえる。

新入りのガイド、外国人の案内に意欲

案内してもらった中には、250年以上前からの農家「ファーム・インさぎ山」の農園もあった。農作業の手を休めて話をしてくれたのは、代表の萩原知美さん(はぎわら・さとみ)さんの二男、哲哉さん(38)だ。

あたり一帯は昔「さぎ山」と呼ばれ、何万羽ものサギが営巣する場所だったが、1970年代以降、サギは姿を消してしまった。農園では無農薬無化学肥料で野菜を作り、農のある暮らしを体験してもらう活動もしている。

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