AKB48スタイリスト・茅野しのぶさんの挑戦と挫折 痛恨のミスと秋元康氏の言葉で考えを改めた
『ヘビーローテーション』が発売初週で52.7万枚を売り上げるほど、当時AKB48の人気が爆発的に広がった。
そんな状況でも、茅野さんは誰かに頼ることなく衣装デザインからフィッティングまで、ほぼ一人で担当していた。
アシスタントはいたものの、まだフィッティングを任せられる状態ではなく、メンバーを何十人か並ばせて、一人ずつ服を着せて……と常にてんやわんやだったと振り返る。
茅野さん:自分一人が頑張ればいいと思っていたんです。なんとかなるって。
でも、この時に「AKB48というグループが大きくなるのと共に、自分たちも大きくなっていかなきゃいけない。そうじゃないと足を引っ張っていってしまう」と実感しました。
それで、人を育てていくこと、チームでやっていくことを決めて、初めて会社化することを意識し、その後オサレカンパニーを立ち上げました。
でも、この時に「AKB48というグループが大きくなるのと共に、自分たちも大きくなっていかなきゃいけない。そうじゃないと足を引っ張っていってしまう」と実感しました。
それで、人を育てていくこと、チームでやっていくことを決めて、初めて会社化することを意識し、その後オサレカンパニーを立ち上げました。
会社創立10年目を迎えた今見据えるもの
個人で動く意識では、プロとして大きな仕事を成し遂げることはできない。そう気付いてからは、後輩たちを育てるとともに「一緒につくる」意識をより強めていった。
茅野さん:一緒に衣装を作るスタッフには、私の頭の中にある“デザインの着地点”を共有するようにしています。今までは全部自分の中で完結していたことを言語化し、共通のゴールに向かってみんなを導いていく。
例えば『=LOVE』の『あの子コンプレックス』という曲は失恋がテーマなので、どこか退廃的で切ない雰囲気にしたくて。
イメージを具体的に伝えるために、皆に枯れた庭園の写真を見せながら共有していました。
例えば『=LOVE』の『あの子コンプレックス』という曲は失恋がテーマなので、どこか退廃的で切ない雰囲気にしたくて。
イメージを具体的に伝えるために、皆に枯れた庭園の写真を見せながら共有していました。
そうして仲間と奔走し続け、オサレカンパニーは2023年で創立10年を迎えた。立ち上げ時は数名だったメンバーも、今や50人を優に超える。
10年という一つの節目を迎え、茅野さんは「社員一人一人が輝ける会社にしていきたい」と目を輝かせる。
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