AKB48スタイリスト・茅野しのぶさんの挑戦と挫折 痛恨のミスと秋元康氏の言葉で考えを改めた

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その後服飾の道に進むことを決意し、専門学校に入学。AKB48のスタイリストになったのは22歳の時。

在学中からアシスタントとして従事していたスタイリストはいたものの、茅野さんはそのまま師匠の元で独り立ちしていく道は選ばなかったという。

茅野さん師匠の下でやっていく方が、仕事にも恵まれるんですけど、師匠を超えることは難しいじゃないですか。

だから、自分ならではの仕事をしたくて靴下メーカーに企画を売り込んだり、デザインコンペに応募したりしていましたね。
(写真:洞澤 佐智子(CROSSOVER))

そんな時に街中で見つけたのが、AKB48の1期生募集のポスター。

「メンバーを募集している段階であれば、衣装デザイナーやスタイリストの枠はまだ埋まっていないのでは」と考え、ポスターに記載している連絡先に問い合わせた。

茅野さん:ダメ元で連絡したら、ありがたいことに面接をしてもらえて。

当時まだスタイリストとして経験は浅かったけれど、「マネジャー的な仕事でも、なんでもやりますから!」って頼み込んで、なんとか採用してもらうことができました。

「私はスタイリスト失格だ」挫折を味わい意識が変わる

AKB48総合プロデューサー秋元康氏の下で、創設当初から衣装担当を務める茅野さん。

始動から4年、『言い訳Maybe』『ヘビーローテーション』など、CDシングルが軒並み1位を取り、AKB48は“会いに行けるアイドル”から“国民的アイドル”へと成長した。

そんな中、国立代々木競技場でのコンサートという晴れ舞台の日に、事件が起きる。当時センターを務めていた前田敦子さんの衣装が紛失し、ステージに出ることができなかったのだ。

原因は、茅野さん含む衣装チームによる設置ミス。しかし当時、ネットの掲示板では「メンバーから衣装を隠されたんじゃないか」「いじめられているんじゃないか」と心無い憶測が飛んだ。

茅野さん単純に衣装のミスですって言えればよかったんですけど、当時SNSをやっていなかったので、そんな機会もなく。

アイドルを輝かせる立場のはずが、足を引っ張ってしまっているなんて「衣装担当として失格だ」って思いました。

さらに、同時期に制作していた新衣装について秋元氏から大目玉を食らったことが、追い打ちをかけた。

茅野さん試作品を見せたとき、「これはAKB48じゃなくて、別のアイドルグループでも着られる。AKB48が着る必要のない衣装だ。ずっとこういうのを作っていたら、他に負けるよ」と言われてしまって。

その言葉を聞いて、はっとしたんですよね。

自分としては一生懸命作っていたつもりだったけど、いつのまにか目の前の仕事をこなすことだけに精いっぱいだったんだって気付いたんです。
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