遠藤 確かに、従来どおりの学校のやり方を続けるのは難しいのですが、かといって何もしなくていいわけではありません。社会を維持するため、あるいは自分の人生を幸せに生きるために、学ばなくてはいけないことがある。
例えば読み書きなどの基本的なスキルや、人権や民主主義といった基本的な価値ですね。それをすべての人に保証することが必要です。
いままでの学校の教育課程では、何年生の国語でそれを、何年生の社会でこれを、といった具合に、同じ時期に同じように学校で学んでいたのですが、その必要はなくなるでしょう。
3年間この高校で学びましたとか、4年間この大学で学びましたということではなくて、何を学んだかという要素を分解し、その履歴が証明できればいい。
例えば、数学はYouTubeでここまで身につけた、という個々の学習を積み上げていって、最終的には何をどこまで学習したのかが証明されるような仕組みが考えられます。
学びの組み立て方が変わる
宮田 大人の研修もそうですね。こちらのサイトでリーダーシップを学び、あちらのサイトで会計学を学ぶといったようにして組み合わせる。それに近いイメージで、子どもたちの教育もすべてを同時期にフルセットで学校でやらなくていいと。
遠藤 はい、これはYouTubeで、これはフリースクールでやりましたというのがあっていいし、もちろん、ここは学校でやりました、となっても当然いい。
ただ、全体として、義務教育を終了したというプログラムは公の責任で用意する必要があります。終了までの要素をどこでどう満たすかは、それぞれの人に合わせて組み立てていけるような形になるのではないでしょうか。
宮田 ネット社会では、自分のやってきたことが残るという面があります。たとえば新聞に取り上げられたとか、何かの理由で表彰されたといったことを、その人の名前を検索することで他者も知ることができます。
それにはプラス面もマイナス面もありますが、履歴書に形式上書かれた「何々大学を出ました」という情報よりも、その人の積み上げを示すということもある。