漫才プロジェクトであがいていたときに、紳助さんから「漫才のコンテストをやろう」と言われた。そのことばを頼りに動いた。
なぜあんなに動けたんだろう。
自分ひとりで考えてやったことだったら、あんなに自信を持って行動できなかったと思う。
途中で挫折していただろう。
紳助さんがいたから絶対できると思えた
ところが、M-1は紳助さんと一緒につくろうとしたものだ。だからぼくは自信を持つことができた。
スポンサーが見つからなくても、テレビ局に断られても、参加者が集まらなくても、絶対やってやる、絶対できると思って行動した。
なぜかわからないが、心のどこかで絶対にうまくいくと確信していた。
紳助さんと一緒につくったからだ。
紳助さんがいなければ、あんな風に自信を持って行動できなかっただろう。
それに、紳助さんとぼくだけではなく、この本に書いたような、本当にたくさんの人のおかげでM-1はできました。
さらに、今も熱い思いを持ってM-1をつくり続けているスタッフがいます。
そして何よりも、第1回からM-1に挑戦し続けてきた何万人という漫才師の熱い思いがこめられているからこそ、M-1は今も輝き続けているのです。
(文:谷良一)
「M-1はじめました。」が10倍面白くなる
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しまだ しんすけ / Shinsuke Shimada
1956年京都府生まれ。1977年、松本竜介と漫才コンビ、紳助・竜介を結成。漫才ブームの立役者となる。30代からは司会者として地位を確立し、数々のバラエティー番組の司会を務めた。2001年に吉本興業(当時)の谷良一氏とともに漫才コンテスト「M-1グランプリ」を創設。2011年8月、芸能界引退を発表。
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たに りょういち / Ryoichi Tani
1956年滋賀県生まれ。京都大学文学部卒業後、81年吉本興業入社。間寛平などのマネージャー、「なんばグランド花月」などの劇場プロデューサー・支配人、テレビ番組プロデューサーを経て、2001年漫才コンテスト「M-1グランプリ」を創設。10年まで同イベントのプロデューサーを務める。よしもとファンダンゴ社長、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務、よしもとデベロップメンツ社長を経て、16年吉本興業ホールディングス取締役。20年退任。大阪文学学校で小説修業、あやめ池美術研究所で絵の修業を始めるかたわら、奈良市の公益社団法人で奈良の観光客誘致に携わる。23年、雑誌『お笑いファン』で谷河良一名義で小説家デビュー。