そしてもうひとつは、50歳で引退する、そして違う人生を楽しむという計画があり、心残りを全てクリアーしたい思いがありました。
予選からはじめて最後は賞金1000万
そんな時、谷からの漫才を盛り上げたいという言葉で、こんな物を作ろうと話をしました。
普通の人間なら、そうですねーと相槌打って終わるのですが、谷はいつものように熱く語るでもなく、淡々と内容を質問してきます。
演者が審査に納得する戦い、だから審査員は点数をその場で公開する、これも審査員が笑いのセンスを視聴者に審査されるわけですから、やってくれる人間がいるか?
そして、高校野球のように、予選からはじめて、プロセスから見せて盛り上げる。
最後は賞金を1000万。
新人の漫才の大会で、1000万なんて当時は超破格でした。
そんな私の提案を、谷は1人で動き、1人で作り上げていきました。
私は表の人間ですから、島田紳助がM-1を作ったと言われてきましたが、私の中では、M-1は俺と谷で作ったんだと、ずーっと思い続けていました。
私がライダーで谷がメカニック、2人のチームでした。
谷は裏で苦労したことも沢山あったでしょうが、私も表で大変でした。(笑)