「日本一の芸人」横山やすしが涙した奥さんの一言 M-1創設者が語る「天才漫才師の隠された悩み」

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奥さんが「どうしたの。疲れてんの?」と聞くと、「おれなあ、もう横山やすしを演じるのに疲れた。本名の木村雄二に戻って、お前や光とのんびり暮らしたいわ」と言ったそうです。

「ほんまはもうキャラクターを変えたいんや。いまのおれは、おれが本来思てたところと違う、悪い方向に行ってるんや。でも、変えようと思っても、知らんうちに世間が求めている横山やすしを演じてしまってるんや」

「疲れたんならやめたらええやん。わたしや光が大事にしたるから、もうのんびりしい」

奥さんがそう言うと、やすしさんはおんおんと泣いたそうです。

みんなの前では脱げなかった鎧

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自分のやりたいことをやりたいようにやっているように見えましたが、実は内面ではそんな風に悩んでいたということを知り、驚きました。本当にやすしさんが願っていたことは、ぼくらが思っていることと違ったのかもしれません。

世間に対してつっぱっていたやすしさんも、奥さんの前では横山やすしの鎧を脱いで裸の木村雄二を見せられたのだと思います。

みんなの前でも鎧を脱いでいたら、あんなに早く亡くなることはなかったかもしれません。それが残念です。

谷 良一 元吉本興業ホールディングス取締役

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たに りょういち / Ryoichi Tani

1956年滋賀県生まれ。京都大学文学部卒業後、81年吉本興業入社。間寛平などのマネージャー、「なんばグランド花月」などの劇場プロデューサー・支配人、テレビ番組プロデューサーを経て、2001年漫才コンテスト「M-1グランプリ」を創設。10年まで同イベントのプロデューサーを務める。よしもとファンダンゴ社長、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務、よしもとデベロップメンツ社長を経て、16年吉本興業ホールディングス取締役。20年退任。大阪文学学校で小説修業、あやめ池美術研究所で絵の修業を始めるかたわら、奈良市の公益社団法人で奈良の観光客誘致に携わる。23年、雑誌『お笑いファン』で谷河良一名義で小説家デビュー。

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