松浦弥太郎が「必要以上の経済活動をしない」理由 「ドクター・ユアセルフ」できる自分になる
「なぜ、あの人のあの言葉にあんなにイライラしてしまったんだろう」というとき。
暴飲暴食して憂さ晴らしをしたくなるかもしれませんが、それは「考えるのをあきらめる」ということです。
ぐっとこらえて一度立ち止まってみる。相手ではなく自分に、静かに目を向ける。
すると、さまざまな発見があります。自分が許せないものをあらためて確認したり、子どものころの似た経験を思い出したり、あまりイライラしない人と自分との違いについて考えたり。だんだんと、自分への理解が深まっていきます。
「ああ、そうか」と思えることがひとつでもあると、プラスの経験になる。
「あのイライラのおかげで気づくことができた。いやなできごとだと思ったけれど、ありがたいな」と思えるのです。
すべてのことに意味があり、学びがある
事故に遭って骨折してしまったとしても、同じです。不自由な身体を持つ日々で感じたことや考えたことには、きっと発見があるでしょう。あるいは「死」について自分なりの考えが深まり、価値観ががらりと変わるかもしれません。
最終的には、「ありがたい経験だったな」と思えるわけです。
こうして「すべてのことに意味があり、学びがある」ということがわかっていくと、どんなにつらいことも、いやなことも、腹立たしいことも、ありがたいものとして肯定できるようになります。
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