最初に出会った天才は横山やすしさんです。
やすしさんはぼくと一回り違う1944年生まれです。
36歳で日本一の漫才師に
西川きよしさんとコンビを組んだやすし・きよしは、名実ともに日本一の漫才師と言われていました。当時やすしさんはまだ36歳です。それで日本一だったわけですから、とんでもない天才だと言えます。お笑い芸人には若くして人気者になる人が多いのは確かですが、実力も日本一と言われた人はそんなにいないと思います。
やすきよの漫才はテンポが良く、ぽんぽんとやり合うセリフの応酬がおもしろく、そこに、軽妙なコント風のネタを入れてました。
まじめなきよし、やんちゃなやすしというキャラクターの対比が際立っており、特にやすしさんは毒舌の暴れん坊だけれども、憎めない、かわいいキャラクターが定着していました。
それに加えて、ふたりは、やすしさんの起こした事件を漫才のネタにしてしまったのです。そんなことは当時でも考えられないことでした。
きよしさんがやすしさんの事件をいじり倒すのを、お客さんは腹を抱えて笑っていました。それに対するやすしさんの受け答えが抜群だったのもお客さんにウケた要因だと思います。半分かすれたようなあの独特の調子で、「おお~ん」と聞き返すやすしさんのとぼけた声が最高でした。
さてこのやすしさんですが、身長163cm、体重は45キロほどのびっくりするぐらい小柄な人でしたが、この人のしゃべりは相手を圧倒しました。
いかつい体をしたその筋の人たちも、やすしさんに機関銃のごとくまくしたてられると、ひと言も返せないのです。完璧に言い負かされて、グウの音も出ない。ことばが出ない代わりに手が出る。やすしさんは人をどついて事件になりましたが、実はよくどつかれていました。原因はこういうところにあったと思います。
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