仕事人間の父親を解放してくれた子どもの不登校 「お父さん、あなたが悪い」と言われ憤慨したが
そうこうしているうちに、お子さんが学校へ行かずに悩んでいるというお父さんたちも加わるようになり、「お父さん研究会」は15人~16人になりました。
どこで聞きつけたのか、地元の新聞社が取材に来て、新聞にも掲載されました。掲載直後のお父さん研究会には、30人ほどが集まり、立ち見まで出ました。お母さん方も2人~3人いらっしゃいました。そのうちの1人のお母さんは「うちにも約1名『お父さん』と呼ばれている人がいますが、何を考えているのがまったく理解できません。ここでお父さんの話を聞いたら、すこしわかるかもしれないと思いました」とおっしゃって。
お母さんの考えも聞くことができ相乗効果があった
お母さん方に入ってもらえたのはよかったです。お父さんだけだと「結局、女の人はね……」と欠席裁判のようになってしまうところを、「母親の立場からすると、こんなふうに考えているんですよ」と言ってもらえると、「そうかそうか」と聞けて相乗効果がありました。人は、人との出会いで変われるんです。
「お父さん研究会」を通して、子どもが元気で幸せに生きるカギは、結局は大人がどう生きるか、ということだと気がつきました。自分が競争主義や学歴主義に囚われているからテストの点が悪いと文句を言いたくなるし、「どこの高校へ行くか」に囚われてしまう。でも子どもは自由に生きる権利があるんですよね。「お父さん研究会」が、私が変われた2つ目のきっかけでした。
──3つ目の転機はなんだったのでしょうか?
3つ目は、一番上の娘が自殺未遂をしたことでした。この子はいじめをきっかけに心を病んで、対人恐怖などの症状がありました。元気なときはバイトをして、体調不良のときは休むという生活をくり返していました。当初、私には「元気になって、家から外に出られるようになることがよいことだ」という思い込みがまだありました。家でゴロゴロしていると、「バイトぐらいしたらどうか」と言ってしまっていたんです。
家のなかがそんな状態だったので、娘は何度か自殺未遂をしました。最後の自殺未遂では睡眠薬を飲み、医師からも「危ないです」と伝えられました。そのときに、私は心から「家から出るとかまったくどうでもいい! 生きていてくれるだけでいい」と思えたんです。「どんな状態でも、わが子として受けとめる。この子といっしょに生きていく」と腹をくくることができました。