「賛否両論」笠原さん、妻亡き後も歩む切り盛り人生 店の経営、3人の子の育児、そしてYouTubeも

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「寝る直前までいつもレシピのことばかり考えてますよ。外でおいしいものを食べたときとか、歩きながらひらめいたときはすぐスマホにメモを取るようにしています。この年になるとすぐにメモしておかないと忘れちゃいますからね(笑)」

笠原さんの原点は、生まれ育った東京の品川区、武蔵小山で焼き鳥店を営んでいた父親の後ろ姿にあるという。

「子どものころから親父をずっと見ていたからか、板前という言葉が頭の中にチラついていて。高校3年生の半ばを過ぎたころだったかな。進路を決めるときがきて、実は当時ははやってたテレビの影響で“パティシエになりたい”って言った(笑)

そしたら、親父に日本料理の修業先を紹介するって一蹴されて」

野球の千本ノックの勢いで、名物の鯛茶漬けを作る

高校卒業と同時に日本料理の名店、吉兆グループの『正月屋吉兆』に入社した。

「今の時代では考えられないくらい、そりゃあ厳しい指導をされていましたね(笑)。メモをとろうものなら、“ここは学校じゃねえんだぞ”とどやされる。だから、その場で必死に頭に詰め込むんですよ」

洗い場で鍋を洗いながら、排水口の掃除をしながら、必死に先輩たちの手つきを目で追い覚えていった。

「吉兆の名物である鯛茶漬けを死ぬほど作ったりもしましたね。それこそ野球でいう千本ノックの勢いで」

大変な9年間だったけど、いい料理人になるための、あの時代の修業を受けられてよかったとふり返る。

正月屋吉兆の修業時代。当時、師匠に言われた言葉を今も胸に刻んで精進しているという
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