「なにより、今の政治家は、国の将来は、ほとんど考えておらんな。自分の選挙のことばかり、当選することばかりしか考えておらん。政党は、国家国民のことより、いかに自分の政党の勢力を拡大するかということだけやろ。もっと、純粋に、日本のこと、人々のことを考える政党が必要やな」
国として明確な目標があることの大切さ
「そうですね」と応じる。横になったまま、右目だけを開け、私を見ながら、
「日本には目標があれへんわな。どこへ行くのか、わからんわな。国民はなにをやったらええのか、わからん。たとえば、東京に行くなら行くと。それがハッキリしておれば、どうやって行くかと。それが考えられるわけや。飛行機で行くとか、汽車で行くとか、そして、いろんなことも決まってくるわけや。最近のわが国の政治経済の実情は、極めて混乱しているね。国家財政は赤字が続いているし、それに最近は、中学の生徒の非行がだんだんと増えている。教育の問題も容易ならん問題や。そういうことを考えると、政治、経済、教育という3つの大きなものが行き詰まっている。
こんなことをやっておったんでは、絶対に日本はよくならん。だんだん悪くなってくる。いつの日か、お手上げになる。何とかせんといかんな。一国の政治家であれば、一命を賭して、たとえ、次の選挙に落ちても、以って瞑すべし、よし、ここは勇気を持ってわが国のため、国民のために取り組む。それが、ほんまの政治家やけど、ほんまもんの政治家はわが国にはおらん。まあ、絶望的やな。けど、わしは決して絶望せんで。わしなりに、いろいろできることをやろうと。きみ、手伝ってくれや」
再び、目を閉じながら、話は続く。
「わが国の現状を考えるとな、この身がどうなっても、このままこの国を放っておいたらいかん、なんとかせんといかんという気分や。そういう気分が、この年齢にかかわらず、沸々と湧いてくる。明治生まれが、むしろ率先垂範をするということをやらなければいかんのではないかと。もう高齢だから、引っ込んでおったら、それでええんやと思ったりするけどな、どうもそういう気にはなれんわ。
こないだも、友人4人と食事をしとったんやけど、まあ、一杯やるということで、わしは、あんまり呑めんほうやけど、一杯やっておったんや。そうすると唄でも唄って浮かれるという場面やな、けども、なんとなく寂しさを感じるんや。なぜだろうか。どうしても、一抹の不安が消えない。とにかく、日本はこのままではいかんと。そのことが頭から離れんのや。こんなことをやっておってええんかと。このままでいけば、21世紀に入って、日本は相当、悪くなる。世界のなかでも、アジアのなかでも、その立場が悪くなる。まもなく、ソ連も崩壊するで。そういうことが、皆、わかっておるのかどうかと。
そう考えるとな、ますます気が沈んでくるんや。そういうことで沈むことは必要ないという年齢やと思いつつ、また愉快にやったらええんやと思いつつ、そして、そういうことを自分に言うてきかせながら、やっぱりな、また、一抹の寂しさが出てきてな。楽しいはずの食事が、あんまり楽しくなかったな。日本が心配やと、そればかりが気になってな、朝まで眠れんことが、このところ続いとるんや」
寂しげな松下幸之助の顔が、いまでもハッキリと蘇ってくる。
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