国が控訴「水俣病訴訟」本質は食中毒事件の新見解 環境省は「科学ではない」と大阪判決を問題視
例えば「意見書2」では、地元の医師らにより2015年と2016年に不知火海沿岸最西端と最北地域で行われた調査結果を分析し、食べた魚に含まれていたメチル水銀が手足の先の感覚のまひ(感覚障害)をもたらした確率(原因確率)を算出。
津田教授は「不知火海で採れた魚介類を日常的に食べていた沿岸住民に手足末端の、あるいは全身の感覚障害があれば、魚介類を原因食品とするメチル水銀中毒症の症状とみなされる」と考察した。
かねて津田教授は、水俣病は国と県が食中毒事件として食品衛生法に基づいた措置を怠ったこと、さらに水俣病の認定審査を行う医師らが食中毒症としてのメチル水銀中毒症についての知識に欠け、多くのケースで保留や棄却をもたらしたことを問題視してきた。
水俣病の歴史をみると、水俣病患者公式確認の翌年の1957年7月、熊本県が食品衛生法による水俣湾魚介類の販売禁止措置の方針を固め、8月に厚生省にその可否を照会したところ、9月に厚生省が「食品衛生法は適用できない」と回答したことが知られている。
当時、水俣湾産の魚介類を食べないよう広く周知していれば、今ごろになってこれほどまで広い地域で感覚障害を持つ人が現れなかったのに、と思う人は多いだろう。しかし、問題はそれだけではなかった。
調査結果を無視した厚生省
津田教授によると、1956年11月の段階で、熊本大学の研究班は「病気は水俣湾の汚染魚を食べたことによる」との調査結果を発表した。また、厚生省の「昭和31年全国食中毒事件録」には「所謂(いわゆる)『水俣病』について」という項目があり「原因食品 水俣湾内産魚介類」と書かれている。
厚生省、熊本大学、熊本県などが調査研究を行うことになったとあり、当初の調査データも付されている。こうした調査結果が無視され、その後も調査が行われなかったことが、今日の混乱を生んでいる、と津田教授は見る。
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