インディ・ジョーンズに米諜報部が依頼した真因 「金銭的価値」「客観性のくびき」から自由な存在
アジールとは、その社会に支配的な価値観とは異なる原理が働く場でした。日本の中近世でも寺、河原や山林がアジールであったと歴史家の網野善彦は述べています。そのようなアジールがあったからこそ、社会的価値観とそこに収まらない価値観が存在することができた。
そのような社会のほうがインディのような人間は生まれやすいし、活躍することができる。だからこそ、アメリカの諜報部が頼ってくるほどの人間がアメリカの大学に所属することができたのでしょう。まさに民主主義の底力だと言えます。
しかしインディのような考古学者だか冒険家だかわからないような人物は、普段は学会や社会、共同体に貢献できない人物だとして爪弾きにされていたはずです。
一方、インディと失われた聖櫃を争ったナチス・ドイツは価値観が極めて一元的な国家でした。ナチスの国家観、社会観について歴史学者の小野寺拓也と田野大輔は以下のようにまとめています。
(小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』岩波ブックレット、77頁)
このように、当時のドイツの国家像に当てはまるものは社会政策の恩恵にあずかれる一方で、当てはまらないもの、つまり社会の役に立たないものは徹底的に排除したのがナチスでした。
形を変えて存在し続ける「優生思想」
社会の役に立つか立たないかの線引きを明確にした結果、優生思想という考えが社会を支配しました。優生思想とは優れた子孫を残すことで社会集団を強化しようという思想で、決してナチスだけに存在した思想ではなく、誕生したのは19世紀のアメリカだと考えられています。
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