インディ・ジョーンズに米諜報部が依頼した真因 「金銭的価値」「客観性のくびき」から自由な存在

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また第2次世界大戦前には広く普及していた思想だといえます。しかしナチスはこの優生思想の延長線上に、ユダヤ人やロマと呼ばれる移動しながら暮らす人々、政治犯、脱走兵、捕虜、LGBTの人といった「社会の役に立たない」と決めつけた人々を隔離し働かせるための強制収容所をつくり、第2次世界大戦末期になると大量虐殺を行ったのです。

第2次世界大戦中のドイツの支配領域では、広い意味での優生思想の末に大量虐殺が行われていきましたが、日本では現在でも優生思想が形を変えて存在し続けています。哲学者の村上靖彦は戦前から現代社会まで射程を伸ばして、以下のように述べています。

 社会福祉学者の藤井渉によると、日本の障害者政策は、第二次世界大戦中の傷痍軍人の支援制度の影響を受けているという。国家に奉仕して戦争で負傷した「役立った人」と、戦争の「役に立たなかった人」という切り分けが初めからあったというのだ。
 戦争の役に立つかどうかという切り分けは、戦後になって「経済的に役に立つかどうか」に変化している。日本の主戦場は軍事から経済に移ったのだ。たとえば現在の障害者の支援制度は就労がゴールになっている。障害者がサポートを受ける場も「就労継続支援A型、B型」というように、名称自体「就労して納税者になる」ことが目的であると明記されているのだ。このように、障害者も労働へと駆り出される。
 経済的に役に立つかどうか、それは生産性という言葉に置き換えることができる。個人の生産「性」は、他の人との比較において決まる。自分のために作るのなら「生産性」は問われない。そして、その比較を誰がするのかというと、人ではなく組織や国家である。つまり人間の生産性が問われるときの主体は、あくまで組織・国家なのだ。
(村上靖彦『客観性の落とし穴』ちくまプリマー新書、63-64頁)

新自由主義の価値観

第2次世界大戦が終わると、日本は高度経済成長期に入ります。その主な産業は大量生産大量消費が前提となる工業でした。工業に支えられた日本には総中流社会が訪れましたが、バブルも崩壊し、1990年代以降は徐々に景気も悪くなって今に至ります。

この間主な産業は工業などの第2次産業からサービス業などの第3次産業へと変わり、社会で求められる「役に立つ」能力も変化していきました。工業モデルで社会を構想する時代は終わり、ポスト工業化の時代が始まったのです。みんなで同じことをする能力ではなく、個々の独自の能力が求められる時代になってきたと言えます。

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