インディ・ジョーンズに米諜報部が依頼した真因 「金銭的価値」「客観性のくびき」から自由な存在
しかしインディは考古学者でもあります。前述のとおり、考古学者の価値尺度は人類史における価値です。それが結果的に金銭的価値に置き換えられることはあるかもしれませんが、基本的には金では動かない。
おそらくアメリカの諜報部がインディにオファーしてきた理由は、ここにあるのではないでしょうか。考古学者であり冒険家でもあるという枠に収まりきらない人間だからこそ、インディに白羽の矢が立った。
また見逃してはならないことは、インディが大学で講義をし、ちゃんと研究室を持っているということです。当時のアメリカの事情は詳しくわかりませんが、さすがに非常勤講師に研究室を用意することはしないでしょう。講義をこなし研究室を持っているということは、インディは常勤の講師として大学に勤めているということになります。
つまり大学側もインディがただの考古学者ではないことをわかっていながら雇っていたのです。インディという唯一無二の存在を雇い、生活を保障し活動できるようにサポートしている。これはインディに「これでいいのだ」という大きな自信を与えたはずです。
アジールがもたらす民主主義の底力
しかしこれは驚くことではないのだと思います。かつて日本の大学でも、インディとは種類は違うかもしれませんが、さまざまな普通ではない研究者がいたことを聞いたといいます。
お酒を飲みながら赤ら顔でさらにタバコを燻らせながら講義をしたり、時間に遅れてくるのは当たり前だし、早く終わるのも日常茶飯事。飲酒や喫煙に対する感覚が現在とは大きく異なるのは当たり前で、現在の価値観で昔を断罪することはできません。
それにしても、これらの感覚がまったく一般的だったとは考えられません。かつての大学は一般的な社会の価値観とズレている人が存在することができたのです。勘違いしないでほしいのは大学の教員全員がそうだったというわけではなく、そういう人もいることができた場であったということです。一種の治外法権であり、そういう意味ではかつての大学は間違いなくアジールだったといえるでしょう。
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