クラウドファンディングは「映画の種」だった 片渕須直監督がクラウドで資金を集めた理由

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――それがラピュタ阿佐ヶ谷だったと。

結局、間を空けながらも、トータルで1年くらいずっと上映を続けてくれたんです。ラピュタでは、夜9時くらいからの上映なのに、朝7時くらいから整理券の列ができたんですよ。単純にテレビでやっているようなアニメでなく、大人の観客も楽しめるような作品にも興味を持ってくださる方が、こんなにいるんだなということが分かった。いわゆるアニメファンのためだけではない作品。普通の観客が観ても楽しめるタイプの作品があるのに、そういった作品の上映はすぐに終わってしまう。よく知られていないから、世間でも話題にもならないということが多くて。そういうことに欲求不満を持っているお客さんが、ずいぶんいらっしゃるんだなと思いました。

――今回、こうのさんの原作をアニメ化しようと思ったのは?

戦時中のリアルを描きたかった

『マイマイ新子』の舞台は昭和30年の山口県でした。新子のお母さんが出てきますが、彼女は昭和30年の時点でまだ20代なんですよ。ということは、戦時中、19歳くらいで結婚したんだろうと。あんなに日常生活でポヤンとしている人が、たかだか10年前には違う状況下にあったわけです。いったい戦時下ではどういう生活をしていたのだろうと思いました。

僕にとって昭和30年は自分が想像できる世界なんですが、昭和20年というのは、全く別世界のように感じていた。でも、いろいろと調べていくと、昭和10年と昭和30年くらいの暮らしってあまり変わらないんですよ。家庭にテレビがあるかとか、そういった違いだけで。そうして戦争中の空白の何年かが気になっていた時に、こうのさんの「この世界の片隅に」に出会った。しかもすずさんというポヤンとした人が主人公だった。

――その二つの作品が重なるわけですね。

ポヤンとしている人というのは、自分たちの世界との橋渡しになりえる人物だと思ったんですよ。ものすごい緊張を強いられる戦時下なのに、ポヤンとしている人は信用できるし、自分に近いものとして託すことができる。読んでいて、そういう人も世の中にいたんだろうなというリアリティーみたいなものを感じることができた。そこを映像化したいなと思ったんです。僕は今まで、戦争というものは自分たちの親世代が語るものだと思っていました。しかし結局は、自分らの世代が、こういう作品を引き受ける世代になったということなんだと思うんです。親から直接話を聞いたりしていましたし、おそらく自分たちが戦争を語れる最後の世代かもしれないですね。そういう意味でも意味がある映画なんじゃないかなと思います。

ただ、そのためには、昭和19年、20年の手触りを自分で捕まえないといけない。世の中がどうなっていたのか、調べ直さなければいけなかった。2010年の夏から調べはじめたので、もうすぐ5年。(本棚にぎっしり詰まった資料を指しながら)けっこう大げさなことになってしまいましたね(笑)。

――主にどういったことを調べているのでしょうか?

たとえば面白かったのは、戦時中のラジオって「大本営発表!」と男性の勇ましい声で放送しているイメージがあるじゃないですか。でもあれは戦争の途中から、「やるな」という話になってくるんですよ。国民が空襲とかで痛めつけられている時に、あれをやったら、国民の反感を買ってしまい、逆に反乱が起きてもいけない。国民に優しくしないといけないと、陸軍がNHKに申し入れている。それだけでなく、落語や漫才など、演芸番組を増やしましょうと申し入れた記録もありました。

そういったことをいろいろと調べていくうちに、戦時中の世の中って、自分たちが思っていたのとちょっと違うなと思った。空襲で罹災した街を近隣の地域が救援する様子などは、準備中まさに目の前で起こった東日本大震災の様相と重なるところもあるように思われました。むしろわれわれが今、生きている世界の延長線上にあるものなんだなと気付いたんです。思えば、こうのさんは「この世界の片隅に」で、主人公のすずさんの人となりを通じて、そういうのを描いていたんだろうなと思ったんです。

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