世界が揺れた自動車産業の供給網寸断、現場の奮闘で着実に復興
流れを変えたのが、志賀俊之COOの訪問だった。21日、工場近くにある社宅の集会所に詰めていた工場幹部たちと合流。その足で渡辺敬夫いわき市長を訪問した。志賀COOは三菱マテリアルやクレハなど、いわき地区にある他の製造業の幹部とも連絡を取り合いながら、市長に対し、いわき地区の工場で復旧作業を開始する旨を伝える。社内外に対する「復旧開始宣言」だった。
いわきは4月11~12日にも同市南部を震源とする震度6弱の余震に襲われている。それでもいわき工場は、4月18日には一部のエンジン生産を開始、5月半ばには震災前の生産体制に戻った。
難題山積の中で前倒しの復旧が可能になった最大の理由は、「オール日産」ともいえる、全社挙げての支援体制だ。いわき工場の担当者約70名に加えて、ピーク時にはグループから200名もの設備保全部隊がいわき工場に集結した。また、日産本社から生産技術の専門家十数名が入り、短期復旧のため各工程で何をやるべきか、いち早く決めた。
現在でも床面に亀裂が入り、よく見ると建屋の一部は傾いている。建物の基礎を直すと膨大な時間がかかるため、機械設備の足に高さを調節するコマを入れ、水平に戻した。機械の中心軸をそろえ、搬送できるようにする、その調節はミクロン単位だ。すべての機械を再チェックする作業は「ほとんどラインの新設と同じだった」(小沢工場長)。
いわき工場は日産最大の3500トン鋳造機を10台持つ。エンジンのシリンダーブロックを製造する鋳造機だが、鉄やアルミを自動で流し込む設備が損傷し、中で材料が固まってしまった。いわきがウリとする最新鋭の設備だったが、3日間かけて撤去、他の工場と同じように材料を運搬台車で流し込む方法に変更した。
部品の直接調達先のほとんどが県外だったことなど、早期に復旧できた理由はほかにもある。とはいえ、「この工場が立ち上がらないと、日産の車が造れない」(小沢工場長)という現場の強烈な自負が、余震が続く中での復旧作業を支えた。
いわき工場では今後、約30億円をかけ耐震補強を実施する。そして、すでに新エンジンの生産準備が進む。部品の海外調達を最大4割まで高める一方で、東北からの地場調達にも本格的に着手する考えだ。