世界が揺れた自動車産業の供給網寸断、現場の奮闘で着実に復興
「通常生産ができる頃に、私はこの場所に戻ってくる」。福島県いわき市にある日産自動車いわき工場。3月29日、同工場を視察した日産自動車のカルロス・ゴーン社長は、従業員にそう約束した。そして5月17日、その約束は当初の予定より1カ月近くも早く実現した。
東日本大震災によって日本の自動車メーカーは甚大な影響を受けた。現在でもその生産レベルは5~6割にとどまる。ただそれは部品調達の滞った影響が大きく、自社工場の被災の度合いは比較的軽かった。そんな中にあって、日産のいわき工場は直接被害の大きい拠点だった。
いわき工場は車の心臓部であるエンジンの製造を請け負う。「フーガ」や「エルグランド」など、日産の高級車に搭載され、2010年には37・6万基のエンジンを国内外の日産の完成車工場へ供給した。
「復旧に3カ月はかかる」。被災直後、小沢伸宏いわき工場長はそう直感した。いわき市は震度6強を記録。天井からダクトが落下し、天窓が割れ、ガラスが飛散した。「工場内にいた304名全員が安全に避難できたのが奇跡的だった」。
生産設備への影響は深刻だった。同工場は約6割が自動化されており、最新の精密機械が並ぶ。クランクシャフトの生産などではミクロン単位の精度が要求される。だが、震災で床面の一部が陥没し、10センチメートル以上の段差が生じた所もある。設備にズレが生じ、多くが使い物にならない。いわきはこれまで地震が少なく、日産の他工場と比べて、ほとんど地震対策のとられていなかったことが被害を大きくした。
流れ変えたCOO訪問 「オール日産」で復旧
復旧作業は当初、難航した。いわきは地震による被害のほかに、もう一つ、福島第一原子力発電所という難題を抱えていたからだ。3月14日には同原発の3号機が水素爆発。いわき工場は原発から約60キロメートル離れているが、当時は情報もなく、自宅待機を余儀なくされた。復旧を進めたくても、必要な業者や人手すら集まらない状況だった。