「ブルシット・ジョブ」著者が遺作で切り込んだ相手 ベストセラー「ポップ人類史」を根本から批判

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この2つの異質な社会のありようを示唆する遺物をつなげることができるのは、人類学の知見を通した推論である。かれらは第3章で、後期旧石器時代の狩猟採集民のヒエラルキーの存在を感じさせる遺物の発見(豪奢な埋葬、マンモス建造物といったモニュメントなど)をとりあげながら、そこにルソー=ホッブズのジレンマをみいだすことをやめるようもとめている。

ハラリ、ダイアモンドの議論を随所で批判

そのかわりかれらが手がかりにするのは、レヴィ=ストロースやロバート・ローウィらの民族誌である。それらが語るのは、かつて人類社会では、社会組織が季節的に変異するのが当たり前であったという事実だ。

つまり、たとえば夏には小集団に分散し、みな対等にふるまうが、冬には、集合し、ときに王や警察ともみまがわんばかりの機能もあるヒエラルキー社会を組織する。しかし、夏になればそれはふたたび解体される。このヴァリエーションはさまざまである。

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だがそこにみいだされる最小のことがらは、人類はその初期から、複数の異質な社会組織とその性質を熟知し、そのあいだを往復できる、柔軟性をもった成熟した存在、自覚のある政治的主体であったということだ。それをふまえるなら、チロルのアイスマンとロミート2とあいだの矛盾は矛盾ではなくなる。それは人類社会が一様ではなかったということなのだ。

ピンカーのみならず、本書ではハラリ、ダイアモンドといったベストセラーの作家たちの議論が、随所でとりあげられ批判されている。基本的に、ルソーとホッブズの二極を往復する、現在にいたるまで支配的な人類史にかかわるストーリー、あるいは神話の焼き直しにすぎない、というのがほとんどの論点である。

しかし、たとえばテオティワカンからコルテスのアステカ攻略における忘れられたトラスカラのエピソードを論じた第9章で、ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」という視点がなにを見落とすのかを示唆した箇所をみてほしい。

ダイアモンドのような語りが、決定要因をどこにおくかにちがいはあれ、つまるところ、この世界を宿命的必然にゆだねていることがよくわかる。そして、それが人間の歴史のなにをみないでいるのか? トラスカラの王なき民衆世界であり、権力を拒絶するかれらの複雑な意思決定システムであり、つきつめれば歴史の流れに介入する人間の意志である。ポップ人類史のシニシズムが、ここで浮き彫りにされることになる。

酒井 隆史 大阪府立大学 教授

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さかい・たかし

1965年生まれ。大阪府立大学教授。専門は社会思想、都市史。著書に、『通天閣 新・日本資本主義発達史』(青土社)、『暴力の哲学』『完全版 自由論 現在性の系譜学』(ともに河出文庫)など。訳書に、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(共訳、岩波書店)、『官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』(以文社)、『負債論 貨幣と暴力の5000年』(共訳、以文社)、ピエール・クラストル『国家をもたぬよう社会は努めてきた クラストルは語る』(洛北出版)など。

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