「損得ばかりを常に考える人」が見失う大事な視点 「易経」から考える"本当の幸せ"とは何なのか

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実際に欲しいものがあれば、そのもの自体を欲しがればいいはずです。でも、どんなものよりお金が欲しいとなると、まったく意味が違ってきます。欲しいものがないのに欲しがる、つまり「欲そのもの」が動機になってしまいます。

ましてや、いくら欲しいという限界を持たず、他人と比較してお金の損得に一喜一憂する、というのでは本当にキリがありません。

「幸福」を研究する米カリフォルニア大学のソニア・リュボミアスキー心理学教授によると、実際に世界中で行われた幸福度調査の多くが、「年収600万〜800万円程度が幸福度のピーク」であることを示しているそうです(『幸せがずっと続く12の行動習慣』日本実業出版社)。

つまり、ある程度の年収があれば、人間は十分に幸福になれる。逆にそれ以上のお金があると、さらに欲をかき、幸福ではなくなるのです。

損得は生きる手段であり、人生の目的ではない。損得に費やす人生こそ、大損である。だから損得だけではない人生を求めなければならない。ここに生き方のカギがありそうです。

財を増やすだけではない人生を真剣に考える

では、財産や損得を超えた人生の幸福とは何でしょう?

せっかくこの世に生を受けたからには、恥ずかしくない立派な生き方をしたいですよね。でも立派な行いはそれが立派であればあるほど、逆に「売名行為」など嫉妬や批判にもさらされやすくなります。

人を導く最強の教え『易経』 「人生の問題」が解決する64の法則
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「士は己を知る者のために死す」(司馬遷『史記・刺客伝』)

人生の終わりまでには、自分の生き様を認めてくれる人に出会いたいものです。そしてできればその人の役に立ち、幸福にし、そのような自分の働きに満足して死にたいものです。それが本項の冒頭で西郷さんが語った慨嘆であり、その真理を『易経』はこう説きます。

「利は義の和なり」

正しいことを積み上げていけば、きっと良い結果がもたらされる。自分の得た分を減らして他人の分を増やしていけば、いつか巡り巡って自分にも還ってくる。われわれが日々できる最善のことは「ほかの人の益のために自分が損をすること」だと教えるのです。

●『易経』からの問い●
あなたにとって損得を超えて大切にしたいことは何ですか?
小椋 浩一 易経研究家

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おぐら こういち

1965年、名古屋生まれ。某電機メーカー経営企画部プロジェクト・マネジャー。名古屋大学大学院経営学博士課程前期修了。早稲田大学商学部卒業後、上記電機メーカーに入社。海外赴任を経て会社を「働きがいのある会社ベスト20」に導くが、キャリアの絶頂期に新規事業で大損失を出し居場所を失う。その後『易経』との出会いで人生観が180度変わる。現在では全社横串の次世代リーダー育成の傍ら、社内外でセミナーや講演を多数行っている。

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